原爆の被害の驚異を今に伝える 平和発信基地・長崎原爆資料館
1945年8月9日午前11時2分。 広島原爆投下から3日後、長崎市内の浦上地域に原子爆弾が投下され約7万5千人の人々が命を落とした。 この資料館では被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過、核兵器開発の歴史、そして核兵器のない平和希求までがストーリーを持たせ、わかりやすく展示されている。 爆心地から約500メートルに位置する浦上天主堂は原爆によってほとんどが倒壊、焼失した。
館内の常設展示コーナーにはこの浦上天主堂の聖堂南側残骸の一部であった側壁を再現。 熱線と炎で黒く変色した聖像、爆風でずれた石柱。 当時の惨状が視覚的衝撃として迫ってくる。 被爆直後と現在の長崎の風景を比較すると、その目覚ましい勢いで復興した長崎の街、人々の逞しさが伝わってくるだろう。 「原爆、戦争なんて遠い昔のこと」とは言えない今の世界状況の中、ぜひ足を運び「悲惨な歴史」を受け止め真の平和について考えてみよう。
●問合せ…長崎原爆資料館 TEL095(844)1231
千羽鶴が手向けられた風景 平和公園&爆心地公園 長崎にとって忘れることができない瞬間となった1945年8月9日午前11時2分。 復興した長崎の街からは長崎を世界最後の被爆地とするために様々な平和活動が行なわれてきた。 それは現在、高校生による署名活動など戦争を全く知らない若い層にまで浸透してる。
原爆の落下中心地に黒御影石の碑が立つ爆心地公園や、
世界平和の願いを込めて作られた高さ9.7メートルの平和祈念像がある平和公園。
静かに平和を祈る人々が寄せた千羽鶴が手向けられた風景は、「平和」を意識しない日常生活を送る人々にとっても、思いを新たにさせられる光景だ。
爆心地から南東約800メートルの地点にある山王神社の鳥居。 社殿は跡形もなく崩れたが、この鳥居だけは片方の柱を残し、今も同じ場所に立っているのだ。 それは原子爆弾の驚異がヒシヒシと伝わる貴重な資料。
崩壊した片方の鳥居の残骸はこの鳥居の奥に置かれている。
そしてこの山王神社の境内には原爆によって被害を受けた被爆クスノキがある。 このクスノキ、幹の周囲が8メートル50センチもある長崎の巨樹のひとつだが、原爆によって幹が焼かれ葉も燃え尽きた。
上部の枝は折れ、一時は全て落葉して生存もあやぶまれていたのだけれど、再び芽吹き、幹に大きな傷を残しながら今でも元気に栄えている。 鳥居から山王神社境内までは風情ある道筋だ。 ●問合せ…長崎市観光宣伝課 TEL095(829)1314
〈5/8頁〉 【1.まつり】 【2.異国情緒(1)】 【2.異国情緒(2)】 【3.食】 【4.平和】 【5.眺望】 【6.体験学習】 【7.交通】
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