長崎市中心部から海岸線沿いに南へ車で約20分。小さな戸町トンネル入口の右下の方に近代的ドック、小菅修船場跡があります。昭和44(1969)年、国指定史跡となり、平成27(2015)年、世界文化遺産に登録された明治日本の産業革命遺産を構成する資産のひとつです。港を望む入江に建設された住宅地にこつ然とあらわれるこの遺構は、明治元(1869)年12月に完成。閉鎖する大正9(1920)年まで、500トンの船舶を中心に、この修船場で実に約1000隻が修理されました。その後、戦時色が高まった昭和12(1937)年、操業を再開すると、戦後は漁船の修理を中心に受注し、昭和28(1953)年まで活躍。今は静寂漂うこのスリップ式ドックには多くの船が出入りしていたのです。
長崎における近代化の立役者といえば、トーマス・ブレイク・グラバー。この小菅修船場の建設にも彼が一役買っています。安政6(1859)年の開国と同時に来崎し長崎屈指の貿易商となったグラバーは、製茶業、武器・艦船の調達などの貿易業を営む傍ら、居留地の埠頭で日本最初の蒸気機関車「アイアン・デューク(鉄の公爵)」を走らせたり、長崎港口に浮かぶ高島で炭鉱の操業をはじめたりと、近代的事業を起こし、我が国の産業発展に大いに貢献していきました。そして、彼の功績で忘れてはならないのが、志の高い若者達への支援です。日本人の海外渡航は国禁であった当時、グラバーは学問を志す若者の英国留学のために、船、その他を手配。文久3(1863)年、伊藤博文ら「長州ファイブ」を、慶応元(1865)年、五代友厚(ごだいともあつ)率いる19名の薩摩藩士、「薩摩スチューデント」を密かに出国させています。グラバーは、帰国後の彼らが日本近代化に必要な人物となること確信していたのでしょう。よく知られる晩年のグラバーの写真のイメージが強く、意外性を感じますが、グラバーと倒幕派の志士らにさほど年齢差はなく同世代でした。 さて、当時の長崎の商社が販売していた船は、西洋で建造し、中国海域で使用されていた中古船。そのため故障が絶えず、幕末の長崎では、中古の洋船や諸外国から来航する大型船を修理できるドックを望む声が高まっていました。そこでグラバーは、慶応2(1866)年、かねてより友人であった薩摩藩の五代友厚、小松帯刀(こまつたてわき)らとともに長崎港の入り口近くに大規模な修船場の建設計画を練ります。実際に計画、実行したのは五代友厚で、グラバー、小松帯刀、貿易商社は出資者でしたが、五代が横浜に転勤したため、その後はグラバーが経営。しかし、明治2(1869)年3月には明治政府に買収され、官営長崎製鉄所(長崎造船所の前身)の付属施設となり政府雇用の外国人技師チームによって管理されました。長崎製鉄所時代、西南戦争があった明治10(1877)年には17隻の船が修理されており、その記録からもかなりの稼働率だった当時の様子が伺えます。
曵揚げ機小屋側から眺めると正面には三菱重工業株式会社長崎造船所のクレーンが見えます。国分町、戸町など、今も周囲にはいくつもの造船所が稼動する「造船のまち 長崎」。今回は、長崎港を発展させてきた明治期最先端技術の地、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつ、小菅修船場跡で見つけた、見逃せない貴重なポイントをご紹介します。
海底から陸上への斜面にレールを敷き、その上に置いた長さ173.73mの船台に船を乗せ、潮の満ち引きを利用して、蒸気力の曳揚げ機械により陸上へと引き上げ船体を修理する仕組みとなっていました。長い船台がそろばんのように見えたことから、地元では通称「ソロバンドック」として長く親しまれてきました。曳揚げ機小屋側から……長崎港側から……。角度により、また、四季折々でさまざまな風情が楽しめます。ぜひ想像力をふくらませ、稼動していた頃を思い浮かべて眺めてみてください。
曳揚げ機小屋は、実は現存する日本最古のレンガ造り建造物で、建物そのものも貴重なものです。屋根は瓦屋根、外壁は東山手の洋風群に見られるのと同様、水色にペイントされた板面と、赤レンガで構成された、いわゆる和洋折衷の洋館です。蔦のからまるレンガも独特で、「こんにゃくレンガ」と呼ばれるオランダ海軍士官ハルデス指導の元に焼かれた長崎産の赤レンガです。通常のレンガが厚さ約6cmなのに対し、こんにゃくレンガは約4cm。薄く扁平な形が特長でこんにゃくに似ていることから、名付けられたんですね。中には花のような刻印があるレンガもあります。こんにゃくレンガは、旧グラバー住宅や、大浦天主堂内、旧羅典神学校でも見られます。
軍艦島クルージングや長崎港遊覧船など、長崎港内を楽しめるクルーズ船から見る小菅修船場跡も、なかなかドラマティックです。写真におさめるのは難しいかもしれませんが、ぜひ心の目でシャッターを切ってみてください。
近年、長崎港内、長崎港松が枝国際ターミナルには、世界の豪華客船が数多く入港し、長崎港を華麗に彩る風景が人気となっています。一方、それとはまるで対称的に、入江の静寂に包まれた小菅修船場跡。しかし、そこは長崎港の繁栄に大いに貢献した明治近代化の一翼を担った偉大なる世界遺産。市街地から少しだけ足を延ばし、往時の長崎港の光景に思いを馳せて見てください。そしてぜひ、あなたが見つけたベストショットを撮影してください。