平成の大合併を終えて現在474町を擁する長崎市。元亀2年(1571)の町建てで拓かれた6町以降、時代の流れと共に数々の町が誕生してきた。そんな長崎の町の名前の由来や、町建て以前の集落の流れをくみ今に息づく地名などを徹底調査! ナガジン独断で分類し由来に迫ってみた!


ズバリ!今回のテーマは

「地名に反映した長崎の歩みを探る!」なのだ

※カテゴリは、ナガジン独断のものであり、各カテゴリと重複する町名もあるので、
判別しにくいものも、独断で振り分けていることをご了承ください。




長崎市における各町名の傾向を大調査
結果、判明した10のパターン!

由来を紐解くことで、まるで知らない町を旅するような、ちょっとした旅気分が味わえるから不思議!見たことも聞いたこともない、かつての長崎の町にふれる旅に出発しよう!

カテゴリ1◆時代背景、建造物に関連した町名

出島町新地(しんち)町銅座(どうざ)町館内(かんない)町! これらが、“時代背景が反映した町名”として最も分かりやすい例だろう。出島町は、出島和蘭(おらんだ)商館が置かれていた築島部分を含むエリアだし、新地町は、唐貿易での輸入品を納める荷蔵を建てるために埋め立ててできたまさに新地。また、エリアには変化があるが、現在の銅座町には実際に銅座銭を鋳造する銅座があった。そして、館内町は、日本で唯一唐人屋敷があったエリアを意味している。では、そんなメジャーどころはさておき、今まであまり気にもとめなかった“町名”に注目! 直接的ではないにしても、これまで想像しなかった歴史の断片を垣間見ることができる。例えば宮摺(みやずり)町。かつてこの地にあった“かまど神社”がキリシタンにより破壊されたのを、再建したのが“宮修理”。これが転訛(てんか)して宮摺となったというのだ! なるほど?! ここでは、そんな由来を聞けば、その時代背景を彷佛とさせる町をピックアップしてみよう。


銅座町


館内町

人々が行き交った姿が目に浮かぶ町
■古道(ふるみち)町/その名の通り、江戸時代、長崎の十人町を起点に野母崎の脇岬にある観音禅寺へと続く“御崎道(みさきみち)”が通っていたことに由来する町名。当時は、長崎の商人や遊女など、多くの人々が“みさきの観音様”を信仰していたため、参拝者が行き交う長い長い参道が設けられたのだ。
■十人(じゅうにん)町/また、十人町の町名は、野母遠見番所”で働く遠見番10人の官舎が置かれていたことに由来する。なるほど!


十人町(1)


十人町(2)

町名が移動?時の流れを感じさせる事実発見!
■今博多(いまはかた)町/東西に短く南北に長い町域。江戸時代に造られた長崎の町の典型的姿を維持する今博多町は、かつての博多町(本博多町=現在の万才町)の遊女屋が移住してできたことに由来する町名。本博多があるから今博多、という名付け方が、昔は各所に見られる傾向のようだ。

今博多町・編笠橋
■古(ふる)町/そんな今博多町に隣接する古町も同様に、通りをはさんで各戸が向かい合った家並みが続く細長い町で、この町ができた当初は、遊女屋があり寄合町と呼ばれていたが、この寄合町が寛永16〜19年(1640〜43)頃に丸山へと移り古町となったという。それでなぜ古町なのかというと、この古町を含め、周辺の今博多町、大井手町、八幡町一帯は遊女屋町でその中でも古町辺りが一番古い町であることに由来するのだとか。ふむふむ、納得!

時の政治の産物? 今も親しまれる町のいわれ

■平戸小屋(ひらどごや)町/この辺りは、明治中期頃まで稲佐六景のひとつに数えられる風光明媚な地域で、江戸時代には代々唐通事の家柄だった頴川四郎左衛門の別荘“水月居”があったが、これを平戸藩松浦氏に献上し平戸藩が陣屋を構えた。このことから平戸小屋の地名が起こり、郷の名がそのまま町名になり平戸小屋町となった。ちなみに明治後期に活躍した長崎女傑のひとり、稲佐お栄(道永エイ)がホテル兼住居を構えていたのもこの平戸小屋だった。

■御船蔵(おふなぐら)町
/慶安元年(1648)、この地に筑前藩(福岡)の船蔵が建てられたことに由来する町名。当然、昔この辺りは海。しかし、どの辺りに船蔵があったのか、思わず探したい気分にさせられる。



御船蔵町

【その他、時代背景、建造物に関連した町名】
●宿(しゅく)町●ダイヤランド●銭座(ぜんざ)町・上銭座町●緑町●文教町●昭和町●城山町●星取(ほしとり)町


カテゴリ2◆地形や景観など、自然にまつわる町名

地形や景観などの自然にまつわる町名の中には、字を見ただけで、なんとなく想像がつくものもたくさんある。しかし、果たしてその真相はどうなのだろうか? えっ?ここが川だったの? ここが田んぼだったの?などなど、由来を聞くと、かつての町の風景が思い浮かんでくるようだ。

清水に男女の命を吹き込んだ町名

■夫婦川(ふうふがわ)町/弘法大師がこの地に立ち寄った際に地面をお突きになったら清水が沸き出したという伝説が残るトッポ水や、長崎開港以前から長崎を支配していたという長崎氏の居城“鶴城”跡を擁するこの町の名は全国でも例をみない町名。由来はそのトッポ水と斉道寺という寺の境内に湧く斉道寺泉の2つの川(井戸)で、2つのとても似通った清冷な水をかつて“雌雄泉”と呼んでいたのが、変化したのだそうだ。

景勝地のシンボルだった松
■松が枝(まつがえ)町/この地はもともと大浦湾入口にある“道栄が浜”と呼ばれた海岸で、岸壁に枝先が海面まで垂れ下がった何本かの松がある景勝地だったという。それが居留地造成のために埋め立てられたために“下り松”と名付けられたが、下り松では縁起がよくないということで、明治になってから松が枝町と改正されたのだそうだ。かつてあった松の木の様子が偲ばれる町名だ。

陽はまた昇る…この地から
■旭(あさひ)町・光(ひかり)町・曙(あけぼの)町/長崎港奥部の西岸、稲佐山の麓に位置するこれら3つの町の共通点は、長崎市内のなかで一番早く日の出を迎えるということ。これは実に縁起がいいこと!もちろん、3町とも将来の発展への祈願も込められているそうだ。

多くの隠れキリシタンが拝んだ聖地
■樫山(かしやま)町/長崎開港の頃から三重の領主をはじめとした多くの人々が洗礼を受け、禁教時代には多くのキリシタンが潜伏した樫山エリアは、三重地区と外海黒崎地区との間にあり、樫の木が多く自生する地だったことに由来するという。そんな樫山は長崎在住のキリシタンの聖地として崇められた地で、当時、三度岩屋山に登って樫山の方を拝めば一度樫山に参詣したことになり、三度樫山にお参りすれば、一度ローマにお参りしたことになるといわれる“樫山詣で”がさかんに行なわれていたという。

【その他、地形や景観など、自然にまつわる町名】
●浜町●大井手町●木場町●片淵町●中川町●本河内(ほんごうち)町●伊良林(いらばやし)●風頭(かざがしら)町●彦見町●白木町●八つ尾町●愛宕(あたご)●桜木町●三景台町●網場(あば)町●春日町●田中町●平間町●東町●船石町●川内町●牧島町●太田尾町●田上町●北浦町●大崎町●千々町●稲田町●大浦町●東山手町●南山手町●下町●大浦東町●東山町●日の出町●椎の木町●高丘●南町●南が丘町●八景町●川上町●上田町●戸町●小ヶ倉●大山町●磯道町●三和町(さんわまち)●草住町●土井首町●平瀬町●鶴見台●柳田町●江川町●竿浦町●平山町●平山台●築町●桜町●元船町●中町●上町●玉園町●浜平町●川口町●岩川町●浜口町●松山町●岡町●橋口町●上野町●江平●本尾町●高尾町●小峰町●本原町●辻町●大橋町●中園町●赤迫(あかさこ)町●花丘町●川平町●三川町●三ツ山町●畦別当(あぜべっとう)町●虹が丘町●北陽町●横尾●西北町●江里町●清水町●西町●富士見町●小江原町●梁川町●春木町●竹の久保町●大谷町●水の浦町●丸尾町●大鳥町●江の浦町●西泊町●岩瀬道町●飽の浦町●入船町●小瀬戸町●大浜町●小江町●上浦町●向町●園田町●牧野町●四杖町●見崎町●鳴見町●京泊町●三重町●畦町●三重田町



カテゴリ3◆神社仏閣ほか信仰に由来する町名

習わしや信仰を重んじる先祖の姿が偲ばれる町名が、地域に祀られた神社や寺院、古くから信仰を集める山などにまつわる名前。そんなカテゴリに入る町名の中で、知名度100%の町といえば寺町伊勢町八幡町住吉町といったところだろうか。寺町はもちろん!1本の道筋に南側から晧台寺、長照寺、延命寺、興福寺、浄安寺、三宝寺、深崇寺、禅林寺と、歴史のある寺院が立ち並んでいることによる。そして、伊勢町には伊勢宮、八幡町には八幡神社、住吉町には住吉神社と、探してみると全国に点在し、広く信仰を集めている神社の鎮座に由来する町名もチラリホラリ見つかるのだ!
ここでは、そんな神社仏閣や信仰に由来する“町名”を紹介しよう。

昔むかし、お諏訪さんはここにあった!
■諏訪町
/“すわまち”とも“すわのまち”とも呼ばれるこの町名は、長崎の氏神様である諏訪神社に由来する。秋の大祭“長崎くんち”で知られる諏訪神社が長崎で初めて勧請された場所が、寺町・長照寺前、つまり寺町通りをはさんだこの諏訪町だったのだ。諏訪神社は西山の地へ移ったが、町名は今も往時のままに。ちなみに諏訪神社の使いが白蛇だと伝わることから、長崎くんちにおける諏訪町の奉納踊りは、白龍も登場する龍踊りだ。

町の由来の恵美須様は今いずこ……
■恵美須(えびす)町/起源については、慶長2年(1597)説と、寛永年間(1624〜1644)説との2つあるが、町名としては、かつて地内に祀られていた恵美須神社に由来する。かつてこの辺りは海だったわけで、海の守神である恵美須様が祀られていたのは自然なこと。で、その恵美須様だが、寛永10年(1634)、小柳五郎左衛門道長という人によって現在の飽の浦に移され、“釛山恵美須神社(こがねやまえびすじんじゃ)”として祀られているという。

恵美須町・恵美須市場

名付け親は老中・松平伊豆守?
■坂本/寛永15年(1638)、島原の乱鎮圧後に長崎を巡検した老中・松平伊豆守が浦上街道沿いのこの地を通ったといわれ、その際、この辺りの風情が比叡山山麓の坂本によく似ていたことから、山王権現を祀るようにと長崎代官の末次平蔵に命じ、はじめは現在の山里小学校付近に建立。その後現在の地に移建したことから坂本の地名が起こったといわれている。移建当初は神仏混淆で観音院円福寺と称したが、明治元年(1868)の神仏混淆禁止令に伴い山王神社となった。
坂本町

【その他、神社仏閣ほか信仰に由来する町名】

●天神町(馬込〈銭座〉天満宮)●東琴平・西琴平町(琴平神社)●末石町(勢至〈せいし〉菩薩)●岩屋町(岩屋神社)●滑石・大宮町・大園町(滑石太神宮)
 
コラム★発見!長崎オモロイ小字名
※1姥懐、老婆の懐ばばのつくら(日の出町)=この字名は他に三重、福田方面にもあるのだが、いずれも日当たりのいい場所で、冬場になると孫を抱いたおばあちゃん達のたまり場になることや、おばあちゃんの懐のように温かいことからこの名が起こったと言われている。通称“ばんつくら”とも言うようだ。
●二双船にそうぶね(船石町)=古賀エリアの中でも最も田園が広がる地。つまり海辺でもないのに“二双船”という不思議な名前なのだ。ちなみに船石町は地内にそびえる船石岳によるもの。

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