八幡町、住吉町、伊勢町……。共通するのは、その町に鎮座する神社に由来しているということ。古くから全国各地に見られるこの町名、長崎の伊勢町にも例に漏れず伊勢宮神社があります。伊勢宮神社は、諏訪神社、松森神社(天満宮)とともに長崎三社と呼ばれ、自宅で行う結婚式が主流であった明治時代、長崎県内で最初に人前結婚式が行なわれたことでも知られる神社です。
いつのころかは定かではありませんが、もともとこの地には伊勢内宮天照皇太神宮を奉祀した小さな社がありました。キリスト教全盛期、キリシタン信徒により破壊され、一時は教会が建てられていたといいます。しかし、江戸時代初期、キリシタン禁教令が強化されると仏教・神道の復活に向けた体制づくりがとられ、今度はキリスト教の教会が焼き払われました。
寛永5年(1628)、地域の人々が伊勢宮神社の再興を祈願し奉行所に願い出ると、唐津出身の天台宗修験 南岳院存祐(なんがくいん そんゆう)を神主に推挙。存祐は伊勢に赴き、外宮長官の桧垣常晨(ひがき つねあき)から許状をもらって長崎に帰り、寛永16年(1639)、伊勢宮神社を創建したといわれています。新高麗町という町名が、伊勢町になったのは延宝8年(1680)のことでした。
中島川の流れに合わせるためか、高低差を解消するためか、ぐるりと曲がった形が珍しい高麗橋を渡ると、緑に包まれた厳かな雰囲気漂う伊勢宮神社があります。その雰囲気を創り出しているのは、境内右奥、末社 楠稲荷神社鳥居横でひときわ存在感を放つ御神木、クスノキでしょう。よく見ると幹部分は、洞窟のように穴が空いています。江戸時代頃の火災で焼けたものといわれていますが、このクスノキには御神木と呼ばれるにふさわしい逸話が残されています。また、お宮のあちらこちらで見かけるこの「大一」の文字は、お宮の紋章。道教の影響を強く受けたものだとか。「大一」と刻まれた灯籠の底には寄贈主「丸山町 花月」の名が記されています。古くから多くの人に親しまれてきた証ですね。
今回はそんな伊勢宮神社の境内を散策して見つけた、とっておきのポイントをご紹介しましょう。
楠稲荷神社鳥居横に、天高く四方に葉を繁らせた巨大なクスノキが立っています。昔、子どもを産んでお乳がでない母親が、洞穴のように穴が空いているクスノキの幹に米のとぎ汁を一升かけ、お祈りすると乳が出るようになったということから、その後、お乳がでない母親たちが多く参拝に訪れるようになったといいます。それが、安産祈願で訪れる参拝者が多い由縁かもしれません。
一見して神社の格式が表わされているといわれる神社の外塀に引かれた線の数。5本の線がある伊勢宮神社には、とても位の高い神社であったことが分かります。
拝殿、頭上に掛けられている36枚の絵は、江戸時代末期の元禄9年(1696)に長崎貿易で莫大な富を得た京都の商人、伏見屋四郎兵衛から奉納されたものです。紀貫之、小野小町、平清盛などが詠んだ36首の歌と肖像画が描かれたこの額絵。かつては色鮮やかな色彩だったと思われますが、長年、雨風にさらされているため、趣ある風合いに。いつでも自由に見ることができる長崎の宝です。
長崎の町の誕生後、早くから開かれた中島川界隈。川、石橋、神社……そこには、昔ながらの長崎の風景が潜んでいます。ぜひ、あなたが出会ったベストショットを撮影してみてください。