歌人として有名な斎藤茂吉(1882~1953)は精神科医でもあり、大正6年(1917)、長崎大学医学部の前身、長崎医学専門学校の教授として長崎に赴任。約4年の月日を長崎で過ごしました。壇上で精神病学と法医学を講じた茂吉が翌大正7年4月から大正10年3月までの3年間住んだのが東中町、桜町電停近くに位置する現在の上町でした。
電車通りから立山の麓(ふもと)、筑後町方面へと続く坂道が昭和20年(1945)の原爆による火災の境界線でもありました。
茂吉が住んだ頃の東中町には、まだ高低さまざまな格子造りの家屋が軒をぴったりくっついて建つ、そんな古い長崎の町並み風情がありました。また江戸時代、この界隈は長崎奉行所立山役所のお膝元であり、かつては御役人が多く住んでいました。近隣には、寛永9年(1632)創建の西勝寺ほか、多くの寺院が集まっており、かすかに江戸期の名残もあったことでしょう。茂吉はこの長崎の地で約400首にのぼる歌をつくりました。その歌作は、第三歌集『つゆじも』などに多く収められています。
通りには、明治31年(1898)の老舗栗饅頭店「田中旭榮堂(きょくえいどう)」がありますが、茂吉が住んだ頃には、鼈甲(べっこう)店もありました。
いにしえゆ今に伝へし鼈甲のたくみの家に吉事あらしめ
茂吉が地域を歩き、慣れ親しんでいた光景が目に浮かびます。
前述した坂道を上り、左手に中町公園を見ながら最初の角を右へ曲がります。しばらく進むと、今も長崎の人々に愛される栗饅頭を作り続ける「田中旭榮堂」の倉庫のシャッターに大正生まれのキャラクター「栗王子」が描かれています。茂吉もこの「栗王子」を知っていたかもしれません。その斬新なデザインに目を奪われつつ長崎奉行所立山役所跡(長崎歴史文化博物館)方面へと進んで行くと、左側に、「斎藤茂吉寓居の跡」という石碑が立っています。東中町54番地、「茂吉の家」と呼ばれたその家は、間口は狭いが近隣でいちばん背の高い赤煉瓦(れんが)塀に覆われた家で、庭には一本の槇(まき)の木があり、茂吉は朝な夕なその木を愛でていたそうです。ここでは、しばしば歌会も開かれていたといいます。
聖福寺の鐘の音ちかしかさなれる家の甍(いらか)を越えつつ聞こゆ
中町の天主堂の鐘ちかく聴き二たびの夏過ぎむとすらし
長く重々しく寺の鐘、明るく鳴り響く教会の鐘、長崎らしい和洋それぞれの鐘の音は、茂吉の長崎生活に溶け込んでいたことでしょう。
長崎のみなとの色に見入るとき遥けくも吾は来りけるかも
この山を吾あゆむとき長崎の真昼の砲を聞きつつあわれ
対岸の造船所より聞こえくる鉄の響は遠あらしのごとし
眼、耳……研ぎ澄まされた五感により生まれた歌から往時の長崎が見えてきます。
桜町電停の近くにある「桜町公園」には、茂吉没後の昭和31年(1956)、茂吉の歌碑が建てられました。
朝あけて船より鳴れる太笛(ふとぶえ)のこだまはながし竝(な)みよろふ山
今回おすすめするのは、長崎市の中心に位置する古い町、上町界隈に見つけるシャッターポイント。目的地への道筋を興味深くゆっくり歩いてみると、細い道筋、古い寺院の境内、そこからの眺望、鐘の音……茂吉が感じた長崎風情に出会えるかもしれません。あなたが見つけた絶好のポイントで、ぜひシャッターをきってみてください。
原爆投下以前は大伽藍(だいがらん)を誇った国宝にあたる特別保護建築物に指定されていた寺院。茂吉も度々訪れ、ここから長崎港を眺めたことでしょう。今では高さ18mの巨大な「万国霊廟長崎観音」が長崎港に向かって建っています。
のぼり来し福済禅寺も石だたみそよげる小草とおのれ一人と
江戸時代、長崎奉行所や諸藩の御役人が頻繁に利用していた料亭跡。その門前には、当時貿易で行き交っていた唐船の網をつなぎ止めていた“ともづな石”と呼ばれる大きな石が支柱として残されています。茂吉もこの通りを行き交い目にしていたことでしょう。
あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺の甍にふる寒き雨
茂吉邸の山手にある聖福寺は、今も閑寂な佇(たたず)まいの唐寺。かつて毎夜8時に突かれる鐘は、名鐘“鉄心の大鐘”。遠くの町まで鳴り響き、時の鐘として人々に親しまれていました。今は鐘鼓楼(しょうころう)の傷みが激しく聞くことができませんが、往時のまま残っています。
明治30年(1897)に献堂式が挙行された中町教会は、原爆投下により外壁と尖塔(せんとう)を残し焼失しました。残された外壁と尖塔を生かし再建されたのが昭和26年(1951)。貴重な被爆遺構であり、今もかつてと同様、長崎の町に澄んだ音色の鐘の音を響かせています。
茂吉が長崎での勤めを終えた大正10年3月16日に詠まれた歌があります。
行春(ゆくはる)の港より鳴る船笛(ふなぶえ)の長きこだまをおもひ出でなむ
また、長崎を去った後ヨーロッパ留学へ旅立った茂吉は次の歌を詠みました。
ハンブルクの港に来れば港町のそのおもかげは長崎のごとし
自邸からなだらかな坂道をのぼると、鶴の湊と称される長崎港が見下ろせ、細長い奥行きのある港の両側には美しい港町が広がっていたことでしょう。まぶたと耳に焼き付いた茂吉が愛した長崎風情。往時に思いを馳せながら歩き、ベストショットを撮影してみてください。
【 上町界隈 】