3.長崎県立美術博物館〜中町教会

その長崎奉行所跡にある長崎県立美術博物館は、今年12月、37年の歴史の幕を閉じることになっている。
これは平成17年度に新しく長崎県新美術館(仮称)と歴史文化博物館(仮称)とに分離開館する構想のため。

そこで現在すでに行なわれているとっておきのファイナル企画展へ足を運んでもらいたい。
この企画展『美への誘い 美への冒険 --37年の軌跡、そして再生へ--』、県所有の素晴らしい美術・歴史資料は、全て県民の財産、ということで、全館すべてを展示会場に、数えきれない程の収蔵品を紹介している。

例えばシーボルト関連の資料。

鳴滝のシーボルト記念館に所蔵されているのはこれのレプリカ。
本物を間近で見ることができるチャンスだ。


そして先程前置きをした往時の迎陽亭の風景を青貝細工で見事に表現した長崎風物図箱、日本黄檗宗の開祖 隠元禅師の書。



オランダや中国の絵を調べたり、珍しい外国の動物たちをスケッチしたりする「唐絵目利(からえめきき)」という仕事をしていた長崎の画家・石崎融思(ゆうし)が、唐人屋敷の風景を描いた『唐館図絵巻』など、まさに長崎県の歴史と伝統を目の当たりにできる作品が勢揃い!

人物、風景がとても事細かに描かれた『唐館図絵巻』は隅々まで目を配るように。
芸者さんが『あ〜れ〜っ』となっていたり、ホモのカップルがいたりととにかく細かいのなんのって……。


17年度に完成する長崎県新美術館(仮称)と歴史文化博物館(仮称)の紹介もしているので、県内外関わらず、興味のある人はそちらも覗いてみよう。



さてさて、この長崎県立美術館を折り返し地点にして、今度は上町を通り抜け、最終ゴール中町教会へと向かおう。

栗饅頭屋のド派手な看板と店を記す表示看板を左手に歩いていくと、右手お茶屋横に斎藤茂吉寓居の跡の石碑が立っている。
大正6年長崎医学専門学校精神科教授として着任した彼は、大正10年の帰京までここに住んでいたそうだ。
長崎でも多くの歌を詠み、興福寺境内などにも歌碑が残されている。

そしてNBC長崎放送裏手にあるこの標識をはさんだ両側には広々とした中町公園がある。

四季折々の花を眺めながら日なたぼっこしたり、子どもを遊ばせたりと、ここはいつも爽やかなざわめきが聞こえる公園だ。

この公園からはすでに白亜の建物が覗いている。中町教会だ。





昭和20年(1945)8月9日の原爆投下により、外壁と尖塔を残して焼失したが、昭和26年10月16日、その外壁と尖塔をそのまま生かして再建された。
聖堂内はステンドグラスから入り込む陽の光に照らされ神秘的な空間。
特に聖堂内の扉に配された10枚の美しいステンドグラスには目を奪われてしまう。


Check!●殉教者は26聖人だけじゃない!

中町教会は聖トマス西と15殉教者に捧げられた教会。
西坂の丘で殉教していった16人の碑が聖堂横の庭にある。
聖トマス西と15人の殉教者はドミニコ会司祭、修道士、修道女、彼らを助けた信徒たちで、キリシタン迫害が厳しかった1633〜1637年に長崎西坂の丘で殉教した人々。

その中には、日本の教会が打続く迫害で壊滅状態にあることをマニラで知り、殉教を覚悟で教会再建のために日本潜入し活動をしていた司祭もいるのだとか。
処刑は「火あぶり」「水責め」「穴吊り」などとてもむごいものだったらしい。
この記念碑は1988年9月3日に建立され、毎年9月第4日曜日には殉教者たちのための記念ミサが捧げられている。


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【 1.西坂公園〜福済寺 】
【 2.聖福寺〜奉行所前通り 】


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