現在のように寺町界隈に寺院が集中する以前、寺町として栄えた場所があった。
それが筑後通りと呼ばれる一本の道筋。
現在も残るのが本蓮寺、聖無動寺、福済寺、東本願寺、観善寺、聖福寺、永昌寺……。
そしてこの寺院周辺には、殉教という悲しい物語を秘めた日本二十六聖人記念聖堂、中町教会がある。
唐寺を含め、400年近く前から建つ寺、長崎のキリシタン史を今に伝え、祈りを捧げ続けている教会。
筑後通り界隈は長崎の宗教史が歩きながらにして見て取れる道筋なのだ。

そこで今回のナガジンはこの通りを中心に、付近にある寺院と教会を訪ね歩く散策コース!
今年12月の閉館のため、長崎県所蔵の貴重な資料、美術品が一堂に会したファイナル企画展を開催中の長崎県立美術博物館が折り返し地点。
建造物と美術品は歴史に富み、今歩いている町並みはきれいに整備された現代の長崎。
その現在の町並みを歩きながら、数百年前の長崎の風景、人々の暮らしぶりを感じ取ってもらえたら……

今回のテーマは「長崎の今昔を肌で感じる」に決定!



1.西坂公園〜福済寺

JR長崎駅前、NHK長崎放送局横の急な坂道を上ると、日本二十六聖人が殉教した地として知られる西坂の丘がある。
現在観光客が絶えまなく訪れるこの丘は、現在西坂公園として地元の人にも親しまれている。
以前は、ここから鶴の港と称された美しい長崎港がスッポリと眺められたらしいが、年々港の景観をさえぎるビルが立ち並び、風情のある景観とは呼べなくなってしまった、と日本二十六聖人記念館の結城神父さんは嘆いておられた。
すっかり見えなくなってしまったといえば、南山手にある大浦天主堂は、正式には日本二十六聖殉教者天主堂で、その正面は、この二十六聖人殉教の地、「西坂」を向いているのだが、今は港と一緒で南山手の方向を見つめてみても、見ることができないのが残念。

この西坂公園にある、昭和37年(1962)列聖100年を記念して建てられた二十六聖人の記念碑には、26名の殉教者の等身大のブロンズ像がはめこまれている。
中央の六名が宣教師、そして左右に日本人信徒20名が祈りを捧げながら聖なる最期を遂げた姿が表現されている。


殉教の日は慶長元年12月19日(現在の暦に直すと1597年2月5日)、くしくもこのレリーフを制作された舟越保武氏は平成14年、二十六聖人と同じ日に天に召された。
舟越氏のこの作品についての思い入れは相当に深いものだったと、新聞、テレビで報道されたことは記憶に新しい。
レリーフ裏にある日本二十六聖人記念館には多くのキリシタン資料が展示されている。


殉教の様子を詠んだ歌人の碑が公園入口右横にある。
「天国の夕焼を見ずや地は枯れても 水原秋桜子」
「たびの足はだしの足垂れて冷ゆる 下村ひろし」


レリーフ、日本二十六聖人記念館と同時期に建てられたのが日本二十六聖人記念聖堂
ガウディの建築を思わせるような2つの塔は、殉教者のよろこびに、地上の人々のよろこびが呼応する「天の門」を意味するのだという。

この聖堂入口からはこれから歩こうとする筑後通りが一望できる。
教会横が墓地、寺院。
この風景はやはり長崎ならでは。

ではでは、西坂公園を後に今眺めた方向へ足を運んでみよう。

まず最初に現れた寺が聖林山本蓮寺、日蓮宗の寺だ。
この寺はサン・ラザロ病院、サン・ジョアン教会の跡地に建っている。

現在も南蛮井戸と呼ばれるキリシタン寺院のあった当時に掘られた井戸がある。
この外道井、異説によると長崎港に出る抜け穴として掘られたともいわれているのだとか。
そして、開国に向けて力を注いだ志士、勝海舟寓居の地でもある。

山門をくぐると本堂横に「刷毛の供養碑」を発見した。
刷毛を商売道具とする人たちが供養碑を建てたのか?
それっていったいどんな職業なんだろう? ちょっと興味がある。


本蓮寺の墓地を通り抜け、どこからでも見える福済寺の観音像をめがけて歩いてみた。
観音様、眺めがいいのか悪いのか?


すると福済寺へは辿り着かず、聖無動寺へ。
岩を切り抜いたところに恐い形相の観音様?がいた。



この坂を下り、一回りすると福済寺にいよいよ行き当たった。
しかし、それにしても大きな観音像だこと。


Check!●夏に咲く花・夾竹桃(キョウチクトウ)

♪夏に咲く花夾竹桃〜、戦争終えたその日から〜♪

夏休み期間中の8月9日、長崎の小・中学生は毎年登校日だ。
戦争、ことに原爆で傷ついた人々への慰霊を込めて、毎年ビデオを見たり、平和教育が行なわれるのだ。
その際に、毎年歌われていた歌が暑い真夏に赤く咲き誇る夾竹桃を歌った歌『夾竹桃のうた』だった。


原爆が落とされた暑い日を、長崎の子供達がこの花を胸に想い描いた。
そんな夾竹桃の花が西坂の丘にきれいに咲き誇っている。

この歌の2番は次の通り
  夏に咲く花 夾竹桃
  武器をすてた あの日から
  若者たちの 願いにみちて
  長崎の丘に もえている
  空に太陽が 輝くかぎり
  告げよう世界に 原爆反対を


ちなみに1番は広島、2番は長崎、3番は沖縄を舞台に原爆反対、平和への祈りを歌っている。


〈1/3頁〉
【 2.聖福寺〜奉行所前通り

【 3.長崎県立美術博物館〜中町教会 】


||[周辺地区地図]||


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