1.西坂公園〜福済寺
JR長崎駅前、NHK長崎放送局横の急な坂道を上ると、日本二十六聖人が殉教した地として知られる西坂の丘がある。
現在観光客が絶えまなく訪れるこの丘は、現在西坂公園として地元の人にも親しまれている。
以前は、ここから鶴の港と称された美しい長崎港がスッポリと眺められたらしいが、年々港の景観をさえぎるビルが立ち並び、風情のある景観とは呼べなくなってしまった、と日本二十六聖人記念館の結城神父さんは嘆いておられた。
すっかり見えなくなってしまったといえば、南山手にある大浦天主堂は、正式には日本二十六聖殉教者天主堂で、その正面は、この二十六聖人殉教の地、「西坂」を向いているのだが、今は港と一緒で南山手の方向を見つめてみても、見ることができないのが残念。
殉教の日は慶長元年12月19日(現在の暦に直すと1597年2月5日)、くしくもこのレリーフを制作された舟越保武氏は平成14年、二十六聖人と同じ日に天に召された。
舟越氏のこの作品についての思い入れは相当に深いものだったと、新聞、テレビで報道されたことは記憶に新しい。
レリーフ裏にある日本二十六聖人記念館には多くのキリシタン資料が展示されている。
レリーフ、日本二十六聖人記念館と同時期に建てられたのが日本二十六聖人記念聖堂。
ガウディの建築を思わせるような2つの塔は、殉教者のよろこびに、地上の人々のよろこびが呼応する「天の門」を意味するのだという。
この聖堂入口からはこれから歩こうとする筑後通りが一望できる。
教会横が墓地、寺院。
この風景はやはり長崎ならでは。
現在も南蛮井戸と呼ばれるキリシタン寺院のあった当時に掘られた井戸がある。
この外道井、異説によると長崎港に出る抜け穴として掘られたともいわれているのだとか。
そして、開国に向けて力を注いだ志士、勝海舟寓居の地でもある。
山門をくぐると本堂横に「刷毛の供養碑」を発見した。
刷毛を商売道具とする人たちが供養碑を建てたのか?
それっていったいどんな職業なんだろう? ちょっと興味がある。
Check!●夏に咲く花・夾竹桃(キョウチクトウ) |
原爆が落とされた暑い日を、長崎の子供達がこの花を胸に想い描いた。
そんな夾竹桃の花が西坂の丘にきれいに咲き誇っている。
この歌の2番は次の通り
夏に咲く花 夾竹桃
武器をすてた あの日から
若者たちの 願いにみちて
長崎の丘に もえている
空に太陽が 輝くかぎり
告げよう世界に 原爆反対を
ちなみに1番は広島、2番は長崎、3番は沖縄を舞台に原爆反対、平和への祈りを歌っている。
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