2.聖福寺〜奉行所前通り

福済寺を後に、筑後通りを突き進むとこんな標識が左手に見えて来る。

そして次に見えて来るのが観善寺
山門奥の坂段脇に大きくそびえ立つ大クスは、市指定の天然記念物。
胸高幹囲8メートル、樹高は20メートルで、市内にあるクスノキの巨樹のひとつだ。


そして次の寺院が興福寺、崇福寺、そして先程の福済寺と並び長崎四福寺と呼ばれる聖福寺の山門。

境内はさすがに禅寺独得の雰囲気を漂わせている。
興福寺、崇福寺とはまた違った静けさを放ち、散歩コースにうってつけのスポットだ。
大雄宝殿には中国で縁起がいいとされる桃の紋様が刻まれていた。



大雄宝殿前の庭には悲話が秘められた「じゃがたらお春」の石碑がある。
この石碑は寛永年間のキリシタン禁制によって、現在のジャカルタに追放された日本人女性、お春を哀れみ建てられたもの。



「じゃがたら」とは現在のジャカルタのことで、当時、江戸幕府は政策の一環として混血児とその日本人の母親をジャカルタに追放していた。
イタリア人の父と日本人の母の間に生まれたお春は、15歳で母、姉と共にジャカルタへ追放されたのだ。


大雄宝殿横には有名な瓦塀がある。
様々な瓦がはめ込まれた芸術品をご覧あれ!





この瓦塀横から後山の墓地へと続く急な坂段のことについて、散歩途中の男性から新情報を耳にした。

♪母がまだ〜、若い頃〜、僕の手をひいて〜、この坂を上るたび僕はため息をついた〜♪

長崎出身のさだまさしの歌に『無縁坂』という歌がある。
実はこの歌に歌われる坂が、この坂だというのだ。

さだまさしさんの親族の墓がこの寺(周辺?)にあるらしく、彼はこの坂を通り墓参りをしていたらしい。
この情報の真意については現在調査中。
分かり次第報告したい。


この坂を上ってみよう。
大雄宝殿の屋根の鬼瓦はそれぞれに表情が違って楽しめる。



この坂を上りきった小道からの風景。
長崎港は見えにくいが、スパンと広がった視界と共に車の音もあまり響かない昔と同様の静けさが漂っている。


聖福寺の山門を下り筑後通りを進むと、右手に何やら広大な敷地に、昔ながらの和の佇まいを偲ばせる建物が見える。
これは料亭・迎陽亭(こうようてい)の跡だった。
これから向かう長崎県立美術博物館に、当時の迎陽亭を偲ばせる美術工芸品があるので見逃さないように。


永昌寺
の山門を通り抜けると奉行所通りと交差する。
奉行所通りとはたいそうな名称だが、現に延宝元年(1673)、長崎奉行所が置かれていたのが現在の長崎県立美術博物館の辺りなのだ(俗に立山役所と言われる)。
他にこの通りには代官屋敷、長崎会所などもあり、政治の中心地だった場所なのだ。

 

Check!●昔懐かし、レトロな店健在!

この奉行所通りにほうきやタワシなど日曜雑貨の店&レトロな店構えの理髪店を発見!

こころなしか、この理髪店のグルグルまわるコレ! 色が違いません?
この心和む光景、何だか商品を手に取ったり覗いてみたくなるのだ。


 

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【 1.西坂公園〜福済寺 】
【 3.長崎県立美術博物館〜中町教会 】


||[周辺地区地図]||