日見といえば、観光客のかたにとっては、ペンギンの人工飼育年数世界1を誇る「長崎ペンギン水族館」で知られていることでしょう。長崎自動車道、長崎芒塚(すすきづか)インターを下りると、眼下にすり鉢状にのどかな町並みが広がり、その先には穏やかな橘湾がきらめいています。
実はこの日見エリア、中世・江戸・明治・大正・昭和と、永きにわたり長崎の玄関口の役割を果たしてきた重要な場所。日見“ひみ”の語源は、かつて旧暦の8月1日、八朔(はっさく)の日に峠に登り朝日を拝む習慣があったからとも、中世期、長崎に攻め入る豪族が峠の麓で火を焚き大軍勢に見せかけたからともいわれています。島原の乱(1668)以前は島原領でしたが、乱の終結後に天領となり、長崎代官の支配下となりました。かつて長崎村と日見村を隔てていたのが日見峠で箱根に次ぐ難所といわれていました。この峠に道ができたのは永禄11年(1568)。それまで長崎から江戸へは、長崎港から船で向かっていました。その後、江戸の末期、1650年頃より日見街道「長崎街道」が整備されはじめると、この日見峠を越えて多くの人々がこの道を往来。シーボルトや勝海舟、象やラクダまでもが、この峠を越え江戸へ向かったのです。今では想像もできない光景ですが、旧道をゆっくり歩き、古い石垣や大木に出会ったりすると、時の流れを感じるとともに、何となく思い浮かべることができるかもしれません。長崎街道の名残ある風景として、長崎市内では、当時茶屋があった「蛍茶屋」付近がよく紹介されますが、日見峠や日見宿があった日見エリアでも、道幅や石段、街道碑などに、その風情は色濃く残っているようです。
そして、明治15年(1882)に開通した「日見(明治)新道」(長崎市電の終点「蛍茶屋」から彦山の麓を迂回し日見峠を切り下げた矢上の切り通しまでの道)も、風情のある散歩道。この道は全国的にみても有料道路としての取り組みが早かった道路で、当時1人5厘、人力車2銭で通行することができました。 また、大正15年(1926)に開通した今も重厚な風貌で存在感を放つ「日見トンネル」。大正期の様式を色濃く残すこのトンネルは、土木遺産として国の有形文化財に登録されています。
今回おすすめするのは、長崎中心街から日見峠を抜け、日見の古い町並みで見つけるシャッターポイント。車を使って高速道路で長崎市内へ直行!となると味わえない、いにしえの長崎風情を感じ、旅気分を満喫できます。絶好のポイントを見つけてシャッターをきってみてはいかがでしょうか?
往時は、東西に七曲りの坂道があり峠に達していました。 “西の箱根”と呼ばれた峠東側の登りの坂道は古道の佇まいが感じられる急勾配の道。それに比べ西側は緩やかなので散策向きです。戦国時代から置かれていた関所跡には碑が建てられています。
明治になり峠頂上部を切り通してできた新道は、現在でも通行可能。うっそうと茂る木々の中、時折木漏れ日が差し込み、鳥のさえずりが聴こえてくる……まちなかから一歩入っただけなのに、自然を身近に感じられる山道です。道沿いには、日見峠への登り口との分岐点があります。
交通網が発達し、通過しがちな日見エリア。歩いてみても車で通っても、どこか懐かしい素敵な風景に出会える場所です。ぜひ、あなたなりのベストショットを撮影してみてください。
【 日見峠 】