さて、ひたすら石垣ストリートを進むと左手に昔、行商の人が背負っていた荷物下ろして休んだことに由来する休石、少し進むと右手に出雲大社長崎分院が見えてくる。そこを過ぎ、石垣が終わる少し手前で、左へ延びた坂道を上り国道34号線へ出よう。昔の地形を思わせるこう配。「今来た道はかつて海で、今まさに長い岬であった陸に上がったのだ!」などと考えながら歩くと面白い!
右手にある建物が長崎市役所別館。南蛮貿易時代にはサン・フランシスコ教会(修道院)があったが、その後、キリスト教禁教時代には宣教師や信者達が入れられたクルス町牢が建てられた。多くの殉教者達はこの地から前ページで紹介した西坂の丘へと引き連れられていったという。
ここから歩道橋を渡り勝山町遺跡地に建つ桜町小学校へと向かおう。この地も南蛮貿易時代にはサント・ドミンゴ教会だった場所。とても小学校とは思えない校門の佇まいが、国道を走る他都市の人々の目を点にさせるという噂もあるが、校門がそうなったのはここが江戸時代、代々末次平蔵を名乗った長崎代官末次家の邸宅だった由縁。初代・末次平蔵は南蛮貿易で財を成した貿易商人であると共にキリシタンだったが、代官職に就くと棄教しキリシタン弾圧を行った人物。延宝4年(1676)、その末次家4代平蔵茂朝らの密貿易が発覚。奉行の忠左衛門はこれを処罰し、この地も没収。町年寄・高木作右衛門に与えた。現在、校門を左に折れた裏手にはサント・ドミンゴ教会跡資料館が併設され、教会時代から末次家時代、400余年に渡るこの地の歴史資料や遺物が展示されている。
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