AM9:00~PM5:00 (入館受付PM4:30まで)
12月29日から1月3日まで
一般360円、 小・中・高校生200円
一般260円、 小・中・高校生100円
〒851-2327 長崎県長崎市東出津町77番地
TEL:0959-37-6011 FAX:0959-25-1443
文字サイズ
お問い合わせ
平成20年11月23日、長崎で執り行われた列福式の前日に講座を開催しました。
下野先生は、「母なるもの」に描かれた二つのモチーフ(①あたかも作家・遠藤周作の分身かのように創られた主人公・「私」と母の関係②長崎の「かくれ切支丹」)について、それぞれ「事実」と「虚構」の関係を整理し、提示されました。
例えば、年譜上遠藤が母の死に見舞われるのは渡仏留学から帰国した昭和28年12月(30歳)の時のことですが、創作にあたって幼年時代の主人公・「私」が母の死に目に会えなかったというコンプレックスを抱いていたという状況を設定することで、小説における現在の「私」が長崎のかくれ切支丹を見て、そこに「哀しみの聖母(=「母なるもの」)」に共感を覚えていくという道筋が導かれ、読者により切実に「母の愛」というものが日本人にはあるんだということを伝えてくるという創作における物語化(「虚構化」)する操作の意図及び効果を解説していただきました。
平成20年11月23日、長崎で執り行われた列福式の前日に講座を開催しました。
下野先生は、「母なるもの」に描かれた二つのモチーフ(①あたかも作家・遠藤周作の分身かのように創られた主人公・「私」と母の関係②長崎の「かくれ切支丹」)について、それぞれ「事実」と「虚構」の関係を整理し、提示されました。
例えば、年譜上遠藤が母の死に見舞われるのは渡仏留学から帰国した昭和28年12月(30歳)の時のことですが、創作にあたって幼年時代の主人公・「私」が母の死に目に会えなかったというコンプレックスを抱いていたという状況を設定することで、小説における現在の「私」が長崎のかくれ切支丹を見て、そこに「哀しみの聖母(=「母なるもの」)」に共感を覚えていくという道筋が導かれ、読者により切実に「母の愛」というものが日本人にはあるんだということを伝えてくるという創作における物語化(「虚構化」)する操作の意図及び効果を解説していただきました。