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2.「紫陽花(あじさい)の花が好きになりました」
(昭和54年=1979、山下明美・原詞、寺井一通・作詞、作曲、歌) |
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寺井一通(てらい・かずみち)さんは長崎で活躍するシンガーソングライターです。最初は東京でシャンソンを中心に音楽活動をしていましたが、51年長崎に戻り、原爆、えん罪、公害、普賢岳災害に苦しむ人たちを勇気づける歌を作っているほか、毎月9日を「長崎うたの日」として原爆・平和の歌を中心にコンサートを開いています。
最近は県内各地の人々が参加したCDアルバム「長・崎・歌・百・景」シリーズを制作するなど歌活動を続けています。
「紫陽花の花が好きになりました」は東京で活躍中に発表した作品で、「ながさき旅情」とカップリングしてレコード・デビューしました。作詞の山下明美さんは寺井さんが立ち上げた“歌う会”のメンバーの1人でした。恋人を思いながら作詞した作品で、その後2人は結婚、長崎で幸せな人生を送っているそうです。
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シーボルト宅跡の胸像の前に咲くアジサイ |
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3.「長崎小夜曲〜NAGASAKI-CITY-SERENADE」
(昭和57年=1982、さだまさし・作詞、作曲、歌) |
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演歌時代の長崎の歌は、恋に破れ、未練にむせび、彼の面影を追いながらたどり着いた町は長崎。そこで聴く鐘の音と人情に触れて癒される…というパターンが主流になっています。
“ため息は改札口に預けておいで”“悲しみはいつかアジサイのように、おだやかに色を変えてゆくはず…”この歌は、長崎をこよなく愛する、さだまさしさんらしい優しさが全編に漂っています。
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「長崎小夜曲」のレコード表紙 |
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4.「あじさい慕情」
(昭和59年=1984、高島千絵・作詞、荒井英一・作曲、水島純・歌) |
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作詞の高島千絵さんは地元長崎の人。女学校時代に被爆、人生の苦労を重ねてきた経験を基に、苦労、別れ、悲恋、根性などをテーマに数多くの作品を書いてきたそうです。この歌はその中から選び抜いたもので、悲恋に泣いた女心を歌う演歌。
長崎市観光協会が推薦、観光協会の30周年パーティーでも紹介され、長崎を中心に人気を集めました。
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「あじさい慕情」のレコード表紙 |
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5.「六月の午後」
(平成9年=1997、寺井一通・作詞、作曲、歌) |
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平成8年1月から毎月9日を「ながさき・うたの日」として、ミニコンサートを開いている寺井一道さんが、翌9年に出したCDアルバム「メッセージ〜長崎の街から」に収録した15曲の中の1曲です。
雨がしとしとと降り続く静かな6月の、ある日の昼下がり、遠くから届く汽笛の音を聴きながら自宅でまとめた作品だそうで、雨とアジサイがかもし出すしっとりとした長崎の情景です。
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「ながさき うたの日」コンサートで
熱唱する寺井一通さん |