馴染みの「通り名」は
少々堅苦しい?

2006年に長崎市で開催された、日本ではじめてのまち歩き博覧会「さるく博‘06」。このとき、ちょうど長崎市中心部の中島川周辺の旧町名の復活を呼びかける動きと同時に、市民や観光客に、通りに親しみを持ってもらい、道案内に役立ててもらおうと「通り名で観光案内」というプロジェクトが市民グループや 地元自治会などでつくるプロジェクトチームによって実施された。対象範囲は古い町並みが残る古川町と諏訪町にある通り【鍛冶屋橋通り】【寺町通り】【ししとき川通り】【本古川通り】【東古川通り】【銀屋通り】【磨屋通り】【諏訪通り】【新橋通り】【紺屋通り】【川端通り】などなど。通りの名前と起点からの距離を示した番号を振った案内板が電柱や街灯、歩道などへ約20m間隔で設置され、それは現在の「さるく観光」にもそのまま活用され、認知度もあがっているようだ。

ししとき川通り

さて、上記の「通り名」を見て気付くのは、町名がそのまま「通り名」になっていることがかなりの割合であるということだ。長崎の町名については、以前の特集でカテゴリ別調査を行なっているので、ぜひご参照あれ。
※2006.6月ナガジン!特集『長崎の町名なるほど大辞典』参照

それにしても単純明快というか、ひねりがないというか、分かりやすいと同時に面白みにかけるのが、現代の「通り名」の特徴のようで、分類すると、以下のようにわけられる。

地域名起源タイプ
長崎大学文教キャンパスや純心女子中学校・高校に面した通りは【文教通り】
長崎県庁前、アップダウンの坂道は【県庁通り】
江戸中期から続く長崎で最も古い商店街がある【中通り】は、かつての地理的条件から命名。
その響きから、埋め立て造成された居留地時代の風情を思わせる【大浦海岸通り】
筑後(現在の福岡県)からの移住者の存在を今に伝える【筑後通り】などなど、このタイプは、通りの風情というより、地域の名前に即したネーミングである。


観光名所起源タイプ
一方、観光都市長崎のならでは名がつく通りも目立つ。【崇福寺通り】は、電車通りから鍛冶屋町方面へのびた崇福寺門前の急カーブの坂。近年は、洒落た飲食店やショップも多く建ち並ぶ。


【オランダ坂通り】【オランダ通り】はいわずと知れたオランダ坂に面した通り。【オランダ坂通り】は、オランダ坂の延長線上、活水女子大学を取り囲む石畳の通りで、歩くにも、車で通り抜けるにも風情が感じられる。一方、【オランダ通り】は、旧英国領事館の裏門側の通り。いずれも長崎随一の観光名所「オランダ坂」に名を借りた通りだ。


オランダ坂通り


オランダ通り

長崎一の繁華街、浜市アーケードとクロスする【観光通り】は、現在「ベルナード観光通り」というが、この通り名には、観光都市として繁栄する意気込みがこめられている。また、浜市アーケードと平行し、思案橋に伸びた電車道は【春雨通り】。これは、端唄の『春雨』が丸山で作られたことに由来している。



春雨通り

偉人・交流起源タイプ

長崎ゆかりの偉人の名がつく通りも目立つ。これもある種、観光名所起源と分類されるのもしれないが、まずは【フロイス通り】。これは、ザビエル以降の日本における布教の歴史を綴った『日本史』を執筆したルイス・フロイス(1532-1597)の名がつく通りで、彼は、長崎のサンパウロ教会付属のコレジオ(現長崎県庁)で昇天。この地に近い国道34号線から一筋入った万才町の通りに、今も彼の名が残り、人々に親しまれている。


シーボルトが出島の外にある鳴滝に開いた鳴滝塾界隈は、彼が普段から往来していただろうという意味を込めて【シーボルト通り】、また、坂本龍馬らが日本で初めての商社の拠点とした亀山社中までの石畳の坂道は、【龍馬通り】。外国人居留地跡、南山手のグラバー園までの坂道は【グラバー通り】と呼ばれている。いずれも長崎で活躍、長崎を発展させた偉人たち。その誇りから、市民はいつまでも忘れることのないよう、愛着を込め「通り名」を使っている。


シーボルト通り

龍馬通り

また、浦上天主堂から、如己堂、大橋交差点への坂道は、【サントス通り】と呼ばれる。これは、長崎の姉妹都市ブラジルのサントス市にちなんだ名前。明治41年、サントス市に上陸した移民者のなかに長崎出身者もいたことから、昭和47年、姉妹都市提携が行なわれた。秋には、長崎市の木・ナンキンハゼの紅葉が、往来者の目を楽しませてくれる通りだ。

同じく、姉妹都市であるセントポールの名がつく【セントポール通り】は、平和の発信地、浦上エリアに存在。平和公園近く、浜口電停から原爆資料館へ続く坂道だ。
※2009.7月ナガジン!特集『長崎の姉妹都市-心をつなごう、ずーっとつなごう-』参照

 

かつての「横丁」のネーミングと、現代の「通り」の名前を比較する。気づくのは、ユーモア目線と、親しみあふれる横丁ネーミングに比べ、通り名は、観光名所や、ゆかりの人物名などをつけた、お行儀のいいものに収まりすぎているきらいが目立つということ。横丁の成り立ちから言っても、庶民の会話からの自然発生ほど根強いものはない気がする。今後、ただの目印ではない、人が集い、人で賑わう「横丁的ネーミング」を持つ「通り」が、自然発生することを期待したいものだ。
 

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