今では、全国的にも珍しくない世界各国と結ばれた「姉妹都市」という関係。この姉妹都市第一号は、何を隠そう今から約50年前に締結された長崎市とセントポール市(アメリカ)。姉妹都市のはじまりと歩み、友好を築き、絆を深め続けている人々の想いを感じながら見えてくるものとは?


ズバリ!今回のテーマは

「つながる心は未来へ繋がる」 なのだ




ところで、現在、日本と海外との姉妹都市提携の数は、1577件にものぼるそうだ(財団法人 自治体国際化協会調べ 5月31日現在)。市民文化交流や親善を目的とする都市間の結びつき=姉妹都市。この姉妹都市の発祥には3つのパターンがある。

1. アメリカノースカロライナ州ニューベルンとスイスのベルン タイプ
アメリカのニューベルンは、1770年にスイスのベルンから来た移民達によって形成された街。そのため、移民元のベルンとは、家族や親せき、友人などとの自然な交流があった。つまり、これは自然発生的に生まれた姉妹都市提携の例。

2. アメリカニューヨーク州ダンケルクとフランスのダンケルク タイプ
第2次世界大戦で多大な被害を受けたヨーロッパの街で復興に励む市民の活動を知ったニューヨーク州ダンケルクの市民が、同じ名前のフランスのダンケルク市民に励ましの手紙や慰問品を送った。これは援助と感謝という形の交流が姉妹都市提携につながった例。

3. ヨーロッパの国々の提携 タイプ
第2次世界大戦中、ヨーロッパでは各国の市民同士が戦った苦い経験を持つ。その中心となったのはライン川をはさんだドイツとフランス。隣国同士で戦ったという悲惨な経験を省みたとき、両国の市民同士の友好親善関係の構築がヨーロッパの恒久平和のために最も重要だと姉妹都市提携が成立した。この動きがさらに発展したのがEU(欧州連合)だという。

世界中の街がどこかの街とつながっている。
長崎がつながっている街は、果たしてどんな街なんだろう?


全国姉妹都市提携第一号!
セントポール市(アメリカ合衆国)

 

お初が多い長崎市だが、なんと姉妹都市提携も全国第一号だった。全国に先駆け、その手と手を結んだのは、アメリカ合衆国ミネソタ州セントポール市。昭和30年(1955)12月7日のことだ。戦後10年、原爆によって壊滅的な被害を受けた長崎の町も奇跡的な復興を遂げ、日本全体が目を見張る発展を遂げる高度成長期に入っていく、そんな時代だった。戦後のアメリカと日本、こと長崎といえば、原爆を投下した国と被爆した都市という微妙な関係である。この二つの都市が結びつくことには、当然「世界平和」という究極の目的があった。そして、そのきっかけを作った功労者は一人のアメリカ人。ミネソタ州セントポールとワシントン州シアトルを結ぶ本線など、アメリカ最北の大陸横断鉄道グレート・ノーザン鉄道の最高経営責任者ジェームズ・ジェローム・ヒルの孫、ルイスW.ヒルJr.だった。ルイス氏は、祖父の経営する汽船会社の長崎航路に乗り、戦前、新婚旅行を含め数回長崎を訪れ、その美しい自然や親切な人々に魅了されていたという。そしてその美しい町が原爆によって破壊されたことを悲しみ「市民同士の友情が深まれば、争いのない、平和な世界を築くことができるだろう」という強い信念から姉妹都市提携を国連に働きかけたのだった。

セントポールという街
 



 
ミネソタ州の州都であるセントポール市は、面積約145km2に対し、人口約28.5万人。製造、通信、金融、観光、農業が盛んなこの街は、古くから「偉大な北西部」開拓の起点として栄え、交通の要所として発展してきた。また、流れ豊かなミシシッピ川に育まれた肥沃な大地から農産物の一大集散地。15,000にも及ぶ数多くの湖と川、豊かな緑に包まれた美しい街だ。気候は日本とは全く別物。大陸的気候のため雨量は少なく寒暑の差が大きい。平均気温も夏は22℃と過ごしやすいが、冬はマイナス11℃。真冬になると最低気温はマイナス30℃の世界だ。湖に浮かぶ島の人気別荘地へも、夏は船を利用するが真冬は車で辿り着けるほどの厚い氷に包まれる。見渡す限り白銀の世界。そんな中、子どもも大人も興じるのは、雪の上に転がって手をバタつかせて天使の姿を雪に模し、静かに起き上がる「スノーエンジェル」という遊びだ。この華氏零度にもなる寒さの中で生活する知恵と工夫は街の中にも見られる。隣接するビルが2階通路を設け、寒い冬、地上に出ることなく行き来ができるような工夫がなされているのだ。

長崎とセントポール市との出会い

ルイス氏の働きかけもあり、ニューヨークの日本国連協会代表ウィリアムG.ヒューズ氏が、原爆被災から復興し、平和都市への道を歩んでいた長崎市とセントポール市の提携を斡旋。その後、国連事務局が両市に勧誘状を出し、昭和30年、日本初の姉妹都市提携が実現することとなった。翌年1月、ミネソタ大学のマイロJ.ピーターソン博士が来崎した際に姉妹提携を正式に可決したセントポール市議会の議決書を、当時の※1田川市長に手渡した。議員満場一致で議決された議決書に次のような一節がある。

此の都市提携はこれら両都市間の文化的帯常であり、
且つ相互応答を可能ならしめる媒介物となる。
本市議会は、都市提携は国際理解を都市水準に於いて
増進する最善の方法であると信ずる。

同年8月、デロン・セントポール市長の招きを受け田川市長も訪米。市議会議長及び、各種団体からのメッセージや小中学生の絵画、平和祈念像のレプリカなどをデロン市長へ贈呈した。デロン市長と田川市長が握手を交わしたこの時が、事実上、都市水準における提携が結ばれた瞬間だったのだ。
※1※2009.3月 ナガジン!特集「長崎が誇る!名誉市民・栄誉市民」参照

人と人とをつなぐ交流の変遷

2005年、長崎市とセントポール市は、姉妹都市提携50周年を迎えた。50年間という長い歳月の間に、両都市では大規模なイベントから市民レベルの交流まで様々なことが行なわれてきた。この歴史の中で新たな市民同士の提携も誕生した。NBC放送局とKSTPテレビが姉妹テレビ局となって番組交換。長崎純心大学とセントキャサリン大学間での提携。長崎交響楽団とセントポール市民交響楽団による日米初の姉妹オーケストラ提携などなど。

そして近年、これらの交流の集大成とも呼べる出来事があった。2007年、長崎の原爆被害者を追悼する式典『長崎デー』(第一回)が、8月9日、セントポール市コモ公園にあるグローバル・ハーモニー・ラビリンスで行なわれたのだ。そして、セントポール・長崎姉妹都市委員会より「生で平和の歌『千羽鶴』を歌ってほしい」という要請を受け、純心女子学園の高校生・大学生が、セントポール市の空の下で合唱。原爆で失われた命と平和に対する祈りを込めたメッセージを贈った。

純心女子学園の皆さん

セントポール市民交響楽団と長崎交響楽団との音楽交流をきっかけに1999年に発足した長崎・セントポール姉妹都市委員会の会長を務め、このセントポール市で初めての祈念式典の実現にも尽力された長崎大学教授、宮西隆幸さんに話をうかがった。


宮西さん
被爆クスの種から育ったクスノキの隣で
宮西さん「姉妹都市の関係は、それぞれの都市に住む人と人とを結ぶ関係。平和がないとなりたたないんですよ。交流があれば親しい人を傷つけたりはしませんからね。国を超えたつきあいを、どのように広げ実践していくかを常に考えています。そして、最初(提携当初)の気持ちを伝えていくことが大切だと感じています。自分達の世代にできることは限られている。だから、次世代に繋げていくことを考えていかなければいけない。発足して10年、これまで、節目の年に記念事業や、その年に意味があると思える活動を行なってきました。これからは、若い人達がもっと入れるように市民に呼びかける仕掛けも必要だと感じています。交流を“実感”した人が、動ける年齢になるまで、伝え、育てていくことが大切ですよね。」

互いの町のシンボルと
友好の木「被爆クス」と「ヤマモミジ」

交流の証とでもいうべきスポットがそれぞれの街に点在している。まずは長崎。平和公園近く、浜口電停から原爆資料館へ続く坂道「セントポール通り」は、すっかり市民にも定着している。そして、平和公園「世界平和シンボルゾーン」には、両市の友好の証としてセントポール市から寄贈されたモニュメント「地球星座」が。このモニュメントの寄贈運動に奔走されたのは、当時のジム・シェイベル市長。自身が平和公園を訪れた際、黒沢明監督『八月のラプソディー』の「平和公園に立ち並ぶモニュメントの中にアメリカから寄贈されたものがないじゃないか」という1シーンを深く実感し、姉妹都市委員会を挙げて募金活動を展開。2,600万円という募金を集め、このモニュメントの寄贈に至ったという。七つの大陸を表す七人の人間が手足を繋ぎ合うことで世界の平和と連帯を表したモニュメント平和公園の丘に建つことは、とても意義深いことだ。一方、セントポール市にも長崎がある。セントポール空港に通じる公道の名前は、その名も「長崎道路」。また、コモ湖を含む広大で多くの人々に親しまれているコモ公園には、植木の里で知られる松原の植木職人、共楽園の松田正美氏が設計、管理、指導し完成した「日本庭園」があり、今もボランティアの皆さんの手によって美しく保たれている。


右/松田正美氏


ボランティアの皆さん

そして2004年、被爆した山王神社の2本の被爆クスの種約1,000粒を採取し、翌2005年、約500粒がセントポール市に贈られた。なにぶん、寒い気候のため盆栽として室内で育てられているが、被爆クス2世は、セントポール市でスクスクと成長している。


被爆クスの種



被爆クスの盆栽
長崎で育てられた残りの約500粒は、長崎大学で平和活動を行なっているボランティアサークル「KUSU(くす)」の皆さんが全国に届け、その生育状況を報告するなど、被爆クスを仲介した市民、学生交流における「愛と平和の伝播」役を務めている。この被爆クスの種や苗の植栽や伝播に興味のある方は、アクセスしてみよう。
長崎大学環境ボランティア
http://kusu-love-peace.hp.infoseek.co.jp/


kusuの皆さん
2008年11月、セントポール市長公式訪問団が来崎。これを記念し、クリス・コールマン、田上両市長をはじめ、委員会の皆さんによって、両都市の気候でも育つ「ヤマモミジ」が中町公園に植樹され、同様にセントポール市にも「ヤマモミジ」が植樹された。木々が育つ姿には、人の心を癒し、活気づける力がある。次世代に引き継がれる「ヤマモミジ」の成長を見守りつつ、これからも機会あるごとに互いの地に数多くの木が植樹されることを願いたい。

ヤマモミジ植樹の様子

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