豊前坊〜愛宕山

■豊前坊(飯盛山)(340m)受験、進学にご利益あり

『信仰の山・彦山ハイキング』(2003.12月)ナガジン

『英彦山』の文字が掲げられた鳥居をくぐり抜け、豊前坊、彦山登山口へと入っていこう


英彦山の鳥居と登山口

杉林、竹林に覆われた豊前房神社境内には、「長崎四国八十八ケ所霊場」の一つ、豊前坊下虚空蔵堂(こくぞうどう)がある。




豊前坊下虚空蔵堂


お堂の周りの岩は削り取られたようになっていて、岩盤には仏像が刻まれている。また、豊前国彦山の末寺であった豊前房神社内には飯盛神社がある。受験、進学に御利益があり年々参拝者が増えているという。


飯盛神社の参道

境内にはなでると万病に効くといわれている“蛤(はまぐり)石”や、かつて力士が力試しをしたという“両国関初土俵力験(ちからだめし)之石”がある。


蛤石


■彦山(386m)美しい山容の信仰の山

『信仰の山・彦山ハイキング』(2003.12月)ナガジン


美しい山容をみせる彦山(豊前坊)と烽火山


諏訪神社の境内から見る
彦山から昇る朝日

山姿は、寄生火山※、豊前坊と共に安山岩によるトロイデ、つまり溶岩円頂丘で火山の形態の一つ。山頂には豊前英彦山神社を勧請してある。
もともと福岡県と大分県にまたがる標高1200mの英彦山(ひこさん)にあやかってつけられたといわれる山名。彦山はかつて眉山(まゆやま)と呼ばれていたが、これは前方の丘、昔長崎を治めていた長崎氏の居館があった城の古址がある唐渡山※(とーどさん)の前山だったことから、前山→まえやま→まゆやま→眉山となった、または山容の美しさが中国の峨眉山(がびやま)に似ているところから眉山となったという2つの説がある。山麓から山頂まで多くの神社や鳥居が建っているため、昔から福岡、大分の英彦山同様、信仰の山として多くの人に登られてきた。
※寄生火山とは、火山本体が成長するにつれて、その山腹に噴出した火山のこと
※長崎初の教会“トードス・オス・サントス教会”(現春徳寺の場所)が建てられていたことから名付けられた

山頂の手前、石段を登ると山頂を示す英彦山の祠がある。



ここまで来れば山頂間近

無線中継所の前を通り抜けると、田手原方面の景色が一望できる。


田手原をバックに記念撮影

愛宕山方面へ下る道からは長崎港が見渡せる。


長崎港


■愛宕山(230m) 古来文人に愛された黒い山

現在、中腹よりかなり上方まで住宅で埋め尽された愛宕山。この山は、典型的なトロイデ(溶岩円頂丘で火山の形態の一つ)。粘性の大きい溶岩が地表に噴出して固まりドーム形となった丘だ。このドーム状に森で覆われた黒い山のその山容は古来の文人達に愛賞されたという。


愛宕山

愛宕神社は、寛永20年(1643)創建の神仏混淆の寺院・愛宕山大光院願成寺だったが、明治元年(1868)に愛宕神社と改称された。寺院は住宅地から差程遠くはないのに木々に覆われているため妙にひっそりとした山頂の上宮(奥の院)と、山麓にある玉木幼稚園上の拝殿からなる。


奥の院の鳥居

「♪あたごの山から 風もらお いんま※ 風もどそ」というわらべ歌がある。長崎は地形の関係から風向きがよく変わり、ときにすっかり風が止むことがある。そんな時、ハタ揚げ(凧揚げ)で遊ぶ子ども達は、ハタを持ちながらこんなふうに唄ったのだそうだ。
※いずれ、あとで


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