それでは、七高山に数えられる7つの山の特徴と周囲の見どころを紹介しよう。

金比羅山〜秋葉山


■金比羅山(366m)絶景を誇る長崎市中心の山


長崎市の中心に位置する円錐形の頂を持つこの山は、かつては唐僧・木庵※(もくあん)が明暦3年(1657)に登山した際、眼下に広がる長崎の景色を絶賛して名付けた無凡山(むぼんざん)の名で呼ばれていたといわれ、「無凡山」の文字が神殿の横の岩に刻まれている。
※隠元(いんげん)、即非(そくひ)と共に黄檗(おうばく)三高僧と呼ばれる。福済寺を開山。



宝永2年(1705)、金比羅大権現を勧請してからは“金比羅山”の名で親しまれている。入港する唐船の目印となっていたため、金比羅神社には航海安全を祈願した常夜燈も残るなど、中国人の信仰を集めていた。



金比羅神社

明治7年(1874)、フランス人によって人類史上、第4回目の金星観測が行なわれたことは有名な話。


県指定史跡:長崎金星碑と金星観測台

金比羅神社の横の展望台からは長崎港や稲佐山を見渡す大パノラマ、西側には原爆が落下し焼け野原となった浦上エリアが一望できる。奥の院入り口山腹の広場にあるドンク(長崎の方言でかえるのこと)岩からの眺めも最高だ。


展望台からの眺め


ドンク岩


七面山(七面山妙光寺)静寂に包まれた寺院

シーボルト縁の鳴滝を通り抜け、以前TVで“日本一狭い車道”として紹介された細道を進むと七面山妙光寺に辿り着く。七面山とは山の名ではなく、七面山妙高寺という寺の山号。江戸時代、旧正月24日には災厄を祓う人々がこぞって参詣する“星祭り”と呼ばれる賑やかな祭りがあったという。


日本一狭い車道

現在はシンと静まりかえった境内。真っすぐに伸びた参道を登り振り返ると周囲の山々の間から長崎港を見ることができる。


参道から見た景色

本堂の周囲の木々が所々紅葉し、日本の美の世界が広がっている。ここまでなら散歩感覚でも来ることができる距離ではないだろうか。


本堂横の素晴らしい紅葉

水をかけ、痛い場所などをたわしで磨く観音像には、ぜひ来年1年の抱負を祈願しよう。以前、お子さんの受験合格を祈願し見事合格した男性が、今回はお礼参り。


願いを叶えてくれる(?)観音像


烽火山(426m)七つの山の中で一番高い山

七面山から烽火山へ向かう途中に続く竹林。


鬱蒼と繁る竹林

ひたすら登ると、寛永15年(1638)に、外国船が侵攻した時の合図を防備に当たる藩や、近国に伝えるためののろし場がつくられた三角形の山・烽火山へと辿り着く。実際には正保4年(1647)、ポルトガル船2隻が来航した際に、はじめて点火された。現在も山頂にその名残を留めていて、間近で観察することができる。


のろし台の上で

県指定史跡:烽火山かま跡



さすがに外国船の入港を確認した場所だけあって、眺めは抜群だ。


山頂からの眺め


秋葉山(250m)祠の傍らには七高山の石柱

烽火山から妙相寺を目指す方向へとヒノキ林が続く急な坂道を下っていくと、秋葉大権現近くに「天明八年※三月吉日、七高山」と刻まれた石柱がある。これは200年以上前に建てられたもの。江戸中期、この道筋を多くの人々が行き交った様子が目に浮かんでくる。
※天明八年=(1788)


七高山の石柱




秋葉大権現にて

秋葉大権現から妙相寺へと下る途中には、渓流に沿って天満天神祠や柊(ひいらぎ)大明神祠などがある。薄暗い山谷を過ぎると、赤く色づいた美しい楓が出迎えてくれた。


美しい楓の前で記念撮影

開祖・逆流(ぎゃくりゅう)和尚の筆と言われる「瑠璃光山」の文字が刻まれた妙相寺の石門。この周囲にも赤や黄色に色づいた木々がざわめいている。


妙相寺の石門


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