現在は一地方都市にすぎないが、祭り、文化、食、そして言葉にいたるまで、
“ある時代”を通り抜けた形跡が残る長崎の街は、かつて日本における特別な場所だった。
218年間続いた鎖国時代に存在した人工の島「出島」。
長崎だけでなく日本全土、そして世界に大きな影響を与えたこの島の魅力に迫る!

ズバリ!今回のテーマは
「見たい!知りたい!出島で何が起こっていたか?」なのだ

http://www.city.nagasaki.lg.jp/dejima/



1.成り立ち〜これからの出島(出島復元計画)



 将軍と出島町人が造った  扇形の人工島「出島」

 まず初めに「出島」はどういう場所だったのかその歴史の流れを紹介しよう。
 出島は江戸時代に鎖国政策の一環として造られた人工の島。寛永13年(1636)、ポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止するために徳川幕府は岬の突端に人工の島を築き、そこにポルトガル人を収容することにしたのだ。築造当初は「築島」とか、ポルトガル人が住んだので「南蛮屋敷」と呼ばれていた。


 
なぜ扇形になったのか? ということには様々な説がある。時の将軍徳川家光が自分の扇を出して「これを見本にしなさい」と言ったという説。これはシーボルトの著書『日本』に記されている。また、中島川の河口に運ばれた土砂が堆積して弧状の砂州が形成され、それを土台に埋め立てたからという説。また、海側のカーブには波浪の影響を少なくする効果があるので扇形にしたという説などだ。

 最初に居住したのはポルトガル人だったが、出島完成の翌年には島原天草でキリシタン農民による一揆が起こり、幕府とポルトガルとの関係が悪化。寛永16年(1639)にポルトガル人の日本渡航が禁止され、わずか3年で出島は無人島となった。

 ちなみに出島の門や塀、橋などは幕府の費用で造ったものだが、それ以外の土地、建物を造ったのは“出島町人”と呼ばれる25人の町人たち。はっきりとした築造費はわかっていないが、25人の長崎を代表する豪商たちによる共同出資によって築かれた。彼らは鎖国体制の中、ポルトガル貿易を有効に利用して利益をあげようと考えたのだ。つまり出島をポルトガル人たちに賃貸し、その賃貸料で出島の築造費を取り戻そうとした訳。しかし、無人島になっては、町人たちの思惑がはずれてしまう。そこで彼ら町人たちが幕府に今度は平戸の和蘭(オランダ)商館を出島に移すように嘆願したのだった。ということで、慶長14年(1609)に平戸に開設された和蘭(オランダ)商館は寛永18年(1641)、幕府の命令で出島に移転することになった。
 嘉永6年(1853)6月、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが浦賀に来航、翌7月にはロシア極東艦隊司令官プチャーチンが長崎に来航、混乱に陥った幕府は、安政元年(1854)、ペリーの艦隊が再び現れるとついに日米和親条約を調印。続いて安政5年(1858)には日米修好通商条約を締結し、出島和蘭商館は廃止され、領事館となったのだった。翌年の安政6年(1859)、長崎、神奈川(横浜)、函館が開港することによって、出島は218年もの間「鎖国期における西欧に開かれた唯一の窓」としての役割を終えた。

 その後、出島は外国人居留地に編入されたが、明治32年(1899)にはこの外国人居留地も廃止。その後しだいに周囲が埋め立てられ、明治37年第2期港湾改良工事によってすっかり扇形の姿をなくしてしまった。長崎の街の近代化と共に市街地の中に埋もれてしまった出島だが、大正11年(1922)には国指定史跡「出島和蘭商館跡」となり、昭和26年から史跡として残していくために様々な取り組みがはじまった。

 そして平成6年には具体的な復元計画が出され、平成8年、いよいよ史跡「出島和蘭商館跡」復元整備計画がスタート! この整備計画には「短中期」と「長期」があり、最終的には四方を水路で取り囲む出島本来の扇形が浮かび上がる構想。しかしそれにはまだまだ時間がかかる。現在は平成8年から建設が始まり日蘭交流400周年にあたった平成12年度に完成した西側5棟に続き、新たにカピタン部屋、乙名(おとな)部屋、筆者頭部屋、三番蔵、水門、十五人番所の6棟が平成17年度完成予定を目指し復元中だ。



◆頼りにしたい!ボランティアガイド
復元中の出島は当然ながら、扇形の島ではないから往時の雰囲気も伝わらない。そこで頼りになるのがボランティアガイドの存在。研修を受け、正式に登録された地元ボランティアガイドの方が、裏話盛りだくさんの細やかな解説案内を買って出てくれているのだ。
活動時間/9:00〜17:00 (長崎市内/様々なコースを案内)
利用料金/無料(ただし、交通費等実費として、観光ガイド一人一日あたり1000円。また、観光案内に要する交通費、入場料(施設による)等は、依頼者負担)
問合せ先/(社)長崎国際観光コンベンション協会TEL095-823-7423/ FAX095-824-9128
また、中央にある出島中央広場付近にガイドの方が待機していることもあるので気軽に声をかけてみるのもいいだろう。ボランティアガイドの方々の詳しい解説にあなたの想像力をプラス。オランダ人が生活した場所を自分の足で歩きながら出島観光を充実させよう。ただし、出島にガイドさんが常駐しているのは10時〜15時まで。



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【1.成り立ち〜これからの出島(出島復元計画)】
【2.出島に住んだ人物】
【3.出島での生活】
【4.出島を通した文化交流】


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