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遠藤周作を偲ぶ一日(H29.10.14)
遠藤周作を偲ぶ一日(H29.10.14)
鼎談「小説『沈黙』と映画『沈黙―サイレンス―』―テーマの深化―」
平成29年10月14日(土曜日)、遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督映画『沈黙―サイレンス―』の公開を記念し、モキチ役で出演された塚本晋也氏(映画監督、俳優)をお迎えし、若松英輔氏(批評家、随筆家)と山根道公氏(ノートルダム清心女子大学教授)を交え、映画制作の裏話や、原作『沈黙』と映画に込められた深いテーマについて、お話しいただきました。
まずはそれぞれのお立場から、撮影時のエピソードや映画をご覧になった感想が披露され、スコセッシ監督の手法やそこに込められた思いなどについて意見が交わされたあと、塚本氏がモキチを演じられた時の具体的なお話に移りました。
山根氏はモキチがロドリゴに十字架を渡すシーンについて、ヨーロッパで教義を学んでそれを伝えるためにやってきたロドリゴが、モキチたちから信仰の本質を教えられ、十字架とともにその思いを強く受け取った印象的な場面だと指摘します。塚本氏はモキチを演じた時の気持ちについて、最初はキチジローに共感していたと明かし、「モキチがなぜ十字架にかけられて死ぬのか、踏絵を踏んだ後で必死に謝ればいいじゃないかと思っていた。しかし、自分の問題として引き寄せて考えたとき、今の世の中への不安、子どもたちの将来を考えたら、わなわなとモキチになって言った」と話しました。それを受け若松氏は、「モキチもキチジローも内面はほとんど変わらない。モキチは、本当はいつでも倒れそうな弱い人だけど、倒れない何かが横にいてそっちの力の方が若干強かったというだけ」と述べ、映画の最後まで貫かれるモキチの存在感にこそ〈信じること〉というテーマが込められていると、映画の核心が語り合われました。
鼎談を通して、今回の映画は原作に忠実でありながら、映画という芸術においてさらにテーマが深められ、時代と共鳴している作品だと感じました。特に映画で描かれたモキチや名もなき日本人たちの信仰や映像化の意義を深く考える機会となりました。