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文・宮川密義 |
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前回までは長崎らしいムードの“別れ歌”を紹介しましたが、別れても未練を抱き続ける人もいるでしょう。別れの舞台となった長崎の町の風情も思い出としてよみがえるのが歌の世界。今回は1,924曲の長崎の歌の中で、タイトルに『思い出』を付けた歌を選びました。 |
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1.「思い出の長崎日記」 |
(昭和37年=1962、高月ことば・作詞、飯田景応・作曲、藤島桓夫・歌 ) |
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藤島桓夫 (レコード表紙から) |

汽笛も悲しげな長崎港の出航風景 |
長崎を離れた男性が、恋人と出会ったときの幸せと、美しい長崎風景の思い出に浸る歌です。
藤島桓夫(ふじしま・たけお)は2年前(昭和35年)に出した「月の法善寺横丁」が大ヒットしていた頃にこの歌を吹き込みました。
軽快なテンポで、ザボンの花、グラバー邸の庭、雨の港で聴くマリアの鐘、霧のオランダ坂…と、長崎の風景を描きながら、“別れた君のことは片時だって忘れはしないよ…”と歌っています。
長崎の街は花が咲いても散っても、雨の季節も港や船も、それぞれに詩情豊かです。藤島桓夫は同じようなイメージの「オランダ坂に花が散る」を10年後の昭和47年に出しています。 |
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2.「想い出の長崎」 |
(昭和45年=1970、高原としお・作詞、八坂邦生・作曲、平 浩二・歌 ) |
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平浩二のデビュー曲の表紙
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宵の思案橋 |
平浩二(たいら・こうじ)は佐世保市出身で、本名は平頼敏(たいら・よりとし)。前川清(まえかわ・きよし)と小中学校の同級生だそうです。
佐世保工業高校を卒業して上京、クラブに出演するなど活動した後、昭和44年にテイチクから「なぜ泣かす」でデビューしますが、プロモーションの関係で、45年3月「博多ブルース」で再デビューします。そのカップリング曲が「想い出の長崎」でした。
「博多ブルース」は“女ひとりに夜が来る…”と一人ぼっちの女性の嘆き節。「想い出の長崎」も“恋に迷った女がひとり”夜の思案橋で思い出にふける歌でした。
平浩二はこの半年後には西田佐知子の「女の意地」をソフトにカバーして好評でしたが、47年に出した「バス・ストップ」はチョコレートのCMソングに採用されるなど、彼の代表曲となりました。 |
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3.「思い出の長崎」 |
(昭和46年=1971、橋本 淳・作詞、筒美京平・作曲、7月=奥村チヨ・歌) |
「おもいでの長崎」 |
(同年、橋本 淳・作詞、筒美京平・作曲、9月=いしだあゆみ・歌) |
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いしだあゆみ盤の表紙 |

奥村チヨ(LP「甘い生活」から) |
歌謡界では演歌時代になると悲恋の歌が多くなりましたが、長崎の歌には、恋人と別れ、泣きながら各地をさまよった女性が長崎にたどり着き、鐘の音や温かい人情に心を癒され、生きる希望を見いだす…というパターンが多く見られます。
この歌はその典型で、石畳や港が見える丘で、恋の未練に泣きながらもマリア像に癒され、長崎の街が好きになっていく…という歌です。
最初、奥村チヨが昭和46年7月に出したLP「甘い生活」の中で歌いましたが、作詞の橋本淳(はしもと・じゅん)が、いしだあゆみにプレゼントして、同年9月にタイトルを「おもいでの長崎」にしてシングル盤で発表しました。
奥村チヨの歌は彼女のヒット曲「恋の奴隷」をイメージさせ、いしだあゆみはハワイアンを取り入れたストリングスをバックに、「ブルーライト・ヨコハマ」調に可憐さを加えた歌声が印象的でした。 |
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4.「想い出の長崎」 |
(昭和46年=1971、赤瀬真雄・作詞、矢野憲一郎・作曲、矢野憲一郎とアロー・ナイツ・歌) |
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昭和43年に出た「思案橋ブルース」のヒットをきっかけに、歌謡界に“長崎ブーム”現象が見られましたが、長崎では自作自演の作品をテープに録音し、有線放送などに届けてリクエストを競う歌手志望のグループなどが台頭していました。
長崎市内のレストラン喫茶で演奏していた4人組バンド「矢野憲一郎(やの・けんいちろう)とアロー・ナイツ」は45年暮れ、同市内のキャバレーの店長、赤瀬真雄(あかせ・まさお)の詞に矢野自身が曲を付け、グループで歌ったテープを有線放送に届け、流してもらったところリクエストが殺到、20日後から連続1位にランクされ、翌46年3月にレコード・デビューとなりました。
しかし、間もなく長崎市内に戻り、3年後の昭和49年に「女の思案橋」を歌い、再びレコードになりましたが、全国ヒットとまではいきせんでした。 |

「想い出の長崎」の表紙
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グラバー園から見える港と長崎市街 |
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5.「おもいで長崎」 |
(昭和53年=1978、いわせひろし・作詞、山本実雄・作曲、江川 良・歌) |
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江川 良 (レコード表紙から) |

観光客も多い雨の日のオランダ坂(東山手) |
東京の著名作詞家が歌謡作家の育成とレコード化を目指す「歌研工房」(岩瀬ひろし主宰)とレコード会社の共同制作によるLPアルバム「日本縦断歌の旅・第4集」に収録された作品です。
岩瀬ひろしの詞に長崎の作曲家、山本実雄(やまもと・じつお)が曲を付け、山本の門下生、江川良(えがわ・りょう)が歌いました。
この歌の舞台も、鐘の音が流れ、ネオンまたたく思案橋、小雨のオランダ坂です。“死ぬほど愛した君”に詫びながら、もしかしたら再会も…と期待して用意した花束でしたが、“君”のいない長崎の街ではあの頃の思い出に浸るだけ…という風景です。 |
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6.「おもいで港町」 |
(平成13年=2001、杉 直人・作詞、古川治生・作曲、杉 直人・歌) |
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CDの表紙 |

杉 直人 |
舞台は港町・長崎。その長崎らしい風景の中に大人の恋心がよみがえる〜。
歌う杉直人(すぎ・なおと)は本名・松崎實(まつざき・みのる)。昭和46年(1971)「ロザリオの女(ひと)をたずねて」でデビューしました。 |
小柳ルミ子が同期で、東京を拠点に活動を続けましたが、ヒットに恵まれず、平成5年(1993)長崎に戻り音楽教室を開いて後進の指導に当たりながら、「ペーロン祭り」などのCDも出していました。
平成13年がデビュー30周年に当たることから、自身の人生を振り返った「我道(じんせい)〜俺の詩(うた)」とカップリングして発表、切ないほどのメロディーを甘くて骨太い声で歌い上げました。 |

雨の出島ワーフで |
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