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2.岡晴夫の「長崎夜曲」
(昭和39年=1964年、服部鋭夫・作詞、桜田誠一・作曲、岡晴夫・歌) |
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岡晴夫(おか・はるお)は戦後も「啼くな小鳩よ」「憧れのハワイ航路」などのヒットを飛ばしていましたが、一時キング・レコードを出てフリーになった時期に、リバイバル企画のためキングに再入社して吹き込んだ新曲の3曲目に当たります。
作詞の服部鋭夫(はっとり・えつお)さんは、もともとオペラが好きで、「マダムバタフライ」のイメージで歌謡曲を書きたかったそうですが、美空ひばりの「長崎の蝶々さん」に先を越されて悔しい思いをしたことがあり、この歌はその長崎への憧れを込めて書いたそうです。
歌詞の「花を売る娘の後を追いかけ…」の描写も、最初「ザボン売る娘の…」としていましたが、「長崎のザボン売り」のヒット直後に現れたザボン売りが娘さんではないと聞いて、慌てて「花を売る娘の」に直したということです。
この歌の光も港の水面にちらちら揺れている程度です。
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旭町岸壁(地図の(7))から見た
満月の夜の長崎港 |

水辺の森公園(地図の(8))から見た女神大橋 |
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3.霧島昇の「長崎の夜」
(昭和30年=1955年、門田ゆたか・作詞、竹岡信幸・作曲、霧島昇・歌) |
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「長崎の夜」の同名異曲も6曲ありますが、同じ題名の歌がこれほどあるのは長崎ならではのことでしょう。
作詞の門田(かどた)ゆたかさんは「東京ラプソディ」や「ニコライの鐘」などで知られ、作曲の竹岡信幸(たけおか・のぶゆき)さんも「赤城の子守唄」や「悲しき子守唄」のほか、「長崎のお蝶さん」のヒットで知られます。
戦前・戦後を通じて活躍したこのコンビが、昭和26年の藤山一郎の「長崎の夜」に続いて、なぜか「長崎の夜」を2曲書き、当時の人気歌手に歌わせています。
歌詞は、藤山一郎の「長崎の夜」が「赤いランプ」で始まっているのに対し、2曲目のこの歌は「港の灯りもランタンの」と、表現は少し違いながらも「ランプの灯り」から始まります。“月さえ出ない”暗い夜の描写です。 |

風頭山(地図の(3))から望む長崎市街
(撮影・辻本亨一氏) |
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4.宇都美清の「長崎の夜」
(昭和27年=1952年、吉川静夫・作詞、加藤光男・作曲、宇都美清・歌) |
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こちらは軽快なテンポで進行します。「銀のクルス」に始まり「南蛮絵皿」や「シュロの木」「赤い鳥篭」と、小道具は南国のムード。
しかも「長崎 長崎 長崎の夜」というフレーズが1節に2回ずつ出ます。作詞の吉川静夫(よしかわ・しずお)さんは昭和43年に青江三奈の「長崎ブルース」を書いた人。吉川さんの長崎の歌は25年の「唐人夜船」以来2曲目。28年には「おらんだ夜船」も書いており、「長崎ブルース」も夜の歌でした。よほど長崎の夜が気に入ったのでしょう。
宇都美清(うつみ・きよし)は栃木県の宇都宮出身。戦前・戦後のSPレコード時代に活躍した人。ソフトで正統的な歌い方で人気があり、「長崎の夜」でも丁寧な歌い方で、上品な夜の感じを出しています。 |

鍋冠山展望台(地図の(4))から眺めた薄暮の長崎
(左の船は観光船「ダイヤモンドプリンセス」) |
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5.「長崎小夜曲―NAGASAKI-CITY-SERENADE」
(昭和57年=1982年、さだまさし・
作詞、作曲、歌
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故郷・長崎を愛するさだまさしの“ふるさと賛歌”です。後半に「宝石箱に身を投げた様な港の夜…」と長崎の夜景を描写しています。1,700曲もある長崎の歌で、夜景の素晴らしさを取り入れたのはこの1曲だけのようです。
この歌はもともと、全電通近畿地本が結成30周年の記念事業の一つ「反核・平和の願いを込めた歌」として、被爆地・長崎出身のさだまさしに依頼して作られたものです。
組合ではレコードを5万枚作り、49,000人の組合員に配りましたが、まもなく大きな反響を呼び、一般も入手できるレコードの要望が相次ぎました。
そこで同年、フリーフライト・レコードがテレビドラマの主題歌「北の国から」とのカップリングでシングル盤を出しました。
さだまさしの東京・武道館での3333回記念コンサートのオープニングを飾ったほか、長崎の稲佐山での「夏 長崎から」と題した恒例の平和コンサートもこの歌から歌い始め、20回目のファイナルコンサートでもオープニングのこの歌から熱く燃えました。
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「長崎小夜曲」で開幕した
「夏 長崎」ファイナルコンサート
(長崎新聞社提供) |