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2.「ばってん長崎」
(昭和50年=1975、出島ひろし・作詞、細川潤一・作曲、江崎はる美・歌) |
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長崎を東西南北に分け、彦山の月と中島川、稲佐の夕映え、南山手のオランダ坂、浦上の天主堂…と長崎の名所を紹介しています。盆踊りとして人気を集めました。
2番が稲佐風景。稲佐の夕映えは福田浦と島々、さらに長崎の街をあかね色に染めます。ほかに稲佐の国際墓地、明治の女傑といわれた“稲佐のお栄”を偲んでいます。
「連絡船」は大正13年(1924)から昭和44年(1969)まで大波止〜旭町間を往復していた市営交通船のことです。
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国際墓地のある悟真寺の赤門 |
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3.「広島の空」
(平成5年=1993、さだまさし・作詞、作曲、歌) |
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稲佐山での平和コンサート(2004夏・長崎から)
=ナガサキ・ピースミュージアム提供= |
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さだまさしさんが広島原爆の日に、被爆地・長崎から平和を発信するイベントとして毎年8月6日に稲佐山で開いている無料の野外コンサート「夏・長崎から」のテーマ曲ともいえる歌です。
デビュー20年目に出たアルバム「逢ひみての」に収録された歌で、歌詞にはもちろん「稲佐山」が出ており、彼の強いメッセージが込められています。
ナガサキ・ピースミュージアムで行った「あなたが平和をイメージする曲は?」のアンケート・ランキングでは、第1位の「祈り」に次いで「広島の空」が第2位でした。
コンサートは今年(平成18年)の第20回が最後ということですが、稲佐山は“平和発信の山”として、人々の心に強く刻まれたことでしょう。 |
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4.「長崎慕情」
(昭和46年=1971、林春生・作詞、ベンチャーズ・作曲、渚ゆう子・歌) |
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悟真寺国際墓地のロシア人墓地 |
この歌が出来た頃“外人墓地”と呼称していた国際墓地は稲佐悟真寺、大浦、坂本の3カ所ありますが、最も古いのが稲佐悟真寺国際墓地です。
大浦、坂本は長崎市が管理し、稲佐は悟真寺の歴代住職によって守られてきました。
「長崎慕情」で歌われる国際墓地は「稲佐」のようです。キャンペーンで長崎にやってきた渚ゆう子も稲佐国際墓地を訪れた後、西坂の二十六聖人殉教の地から港を眺め、長崎の雰囲気を吸収していましたが、期待したほどはヒットしませんでした。
当時エレキサウンドの大御所として人気を集めたベンチャーズが作曲した「ナガサキ・メモリーズ」に、「京都慕情」の林春生(はやし・はるお)が詞を付けました。
外国人墓地を取り入れた歌はほかに「雨の外人墓地」(昭和28年、芳枝あき子・作詞、吉田正・作曲、久慈あさみ・歌)、「長崎の外人墓地」(昭和47年、舛田竹一・作詞、久富宥三郎・作曲、愛原洋子・歌)、「雨の外人墓地」(昭和56年、前田利茂・作詞、橋本一郎・作曲、三島日出男・歌)などがあります。 |

「長崎慕情」のレコード表紙 |

「長崎の外人墓地」の表紙 |
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5.「長崎恋姿」
(昭和48年=1973、石本美由起・作詞、和田香苗・作曲、島倉千代子・歌) |
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「歴史上の人物を歌う」でも紹介しましたが、この歌は明治時代、稲佐のクラブで働き、ロシア将校らに人気を集めた“稲佐のお栄”をモチーフにしています。
明治初期、長崎港は政府指定のロシア極東艦隊停泊港として、多くのロシア人でにぎわいました。天草生まれの“稲佐のお栄”は本名・道永栄。ロシア語を身につけ、生来の美しさも手伝って、めきめき頭角を現しました。
その評判を聞きつけたロシアのニコライ皇太子がお忍びで来崎した折も、宴会を立派に仕切り、名を挙げました。
ホテル経営にも乗り出し、ロシア将校や華族など要人との交流も重ね、“ロシア海軍の日本の母”と呼ばれる一方、嫉妬と好奇の目にさらされ続けたともいわれます。
この歌は“稲佐のお栄”の人には言えない哀しみをしみじみと歌っています。作詞家石本美由起(いしもと・みゆき)が、長崎へのご恩返しとして作った「あじさい旅情」(島倉千代子・歌)のレコードB面で発表しました。 |

“稲佐お栄”こと 道永栄
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「お栄さんの道」の登り口
左は案内の石碑 |