◆必見!文化財的価値のある仏像

◆長崎ならでは!中国伝来の仏像
最後に、中国から伝わった、または中国の仏師が制作した仏像をピックアップ!
その前に……。


中国の仏像を鑑賞するための
ワンポイント・レクチャー!!

『“和様(わよう)”と“唐様(からよう)”の仏像の違い』を踏まえて観賞すると面白い!

違いその1/肉髻(にっけい/頭の上の部分)の形
● 和様→こぶのように盛り上がっている
● 唐様→平らではげている

違いその2/目と耳の形
● 和様→目は切れ長で細く、耳タブに穴が開いている(紐耳)
● 唐様→まぶたが下に垂れていて、耳は肉厚(ヘラ耳)

違いその3
/おなかの部分
● 和様→一枚の衣をつけているのみ
● 唐様→腰に巻く布“裳(も)”の紐の結び目がある

 

◆エントリー��7
晧台寺の釈迦如来坐像

どこかあどけないお顔がキュート!
慶長13年(1608)、肥前国松浦郡山口村(現在の佐世保市相浦町)洪徳寺の第七代住持・亀翁良鶴が、はじめは洪泰寺と称し岩原郷(現在の玉園町)に創建。寛永3年(1626)に寺町に移り晧台寺と改称された。現在、寺町に並ぶ寺院の中で最も古いお寺で、墓域は広範囲にまたがり、上は風頭公園内の敷地に日本の写真の開祖・上野彦馬の墓、ヘイフリ坂沿いにはシーボルト妻子・楠本タキ、イネの墓など、ほかにも数々の要人が眠っている。広大な敷地を誇る晧台寺の仁王門をくぐり抜けると、正面に入母屋造りの本堂(万徳殿)がある。ここが晧台寺の中心的建物で、中島川に架かる石橋の一つ、“一覧橋”にその名を残す、唐通事・高一覧(こういちらん)によって寄進された御本尊・釈迦三尊像が安置されている。堂内に入ってすぐ露地左手の梁上には、この三尊仏像の由来碑が掲げられているが、これは、一覧の子である高(深見/ふかみ)玄岱が、元禄8年(1695)に碑記を綴り、建てた碑だ。この碑文には、この三尊像は、一覧が補陀洛迦山より得て、家にて供養していたが、ある時火災に見舞われた際、この仏像三体を入れた倉庫のみが無事だったことから、家で自分だけのものにせず、万民の福を増すように寄進に至る由縁が刻まれている。中尊である釈迦如来像のお顔に注目してみよう!中国の仏像特有ののっぺりとした穏やかな表情。なんだかあどけなくて、とっても親しみやすい仏像だ。また、晧台寺の総門をくぐり真直ぐ登った場所には“華厳閣”とも呼ばれる大仏殿があり、高さ3.4mの毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)坐像が安置してある。眉間あたりにはシャム国(現在のタイ)から長崎港に送られてきた仏舎利一顆が収められたこの大仏様は、長崎最大の金銅大仏とあって見上げる程の大きさだ。

【分類●釈迦如来/2ページ 聖寿山 崇福寺を参照】


歴史……………★★★
面相……………★★★★
親しみ度………★★★★★



晧台寺・本堂



晧台寺・釈迦如来


晧台寺・三尊仏


晧台寺・御住職

●海雲山 晧台寺(かいうんざん こうたいじ)【曹洞宗】
●寺町1-1 095-823-7211
●拝観自由 10:00〜18:00
●JR長崎駅からのアクセス
路面電車/長崎駅前電停から正覚寺下行きに乗車し、築町電停でのりつぎ券をもらい下車。蛍茶屋行きにのりつぎ、賑橋電停で下車。徒歩10分。
車/長崎駅前から約10分。
 

◆エントリー��8

悟真寺の阿弥陀三尊仏座像

極彩色と巧みな細工がスバラシイ!
浄土宗の寺院・悟真寺は、長崎市そのものの歴史と深い関わりを持つとても重要な寺院。場所は、明治維新前は長崎代官が支配する肥前国彼杵郡渕村稲佐郷、現在の曙町。長崎市のランドマーク的存在である稲佐山のふもとに位置している。かつて延元元年(1336)からの57年間続いた南北朝時代には稲佐氏の領地で、境内も稲佐氏の館跡だったと。元亀元年(1570)の長崎開港以来、長崎に来航した中国の人々は、この稲佐や水の浦といった対岸地区に多く居住した。中国の人々と稲佐の結びつきは、元和(1615〜1624)の初め頃、欧陽華宇(おうようかう)と張吉泉(ちょうきっせん)らが稲佐の悟真寺を菩提寺として100間四方を墓地に定めたことでより緊密になったといわれている。悟真寺は浄土宗で、慶長3年(1598)、そのころ武士だった筑後善導寺の僧・聖誉(せいよ/聖誉玄故(せいよげんこ)が、キリスト教が台頭したことによって長崎の寺院が焼き払われるなど仏教が廃絶していることを嘆き、慶長3年(1598)、長崎奉行・寺澤志摩守の許可を受け、この「終南山光明院・悟真寺」を創建した。この時、創建に尽力したのが檀徒第1号、唐の商人、欧陽華宇(おうようかう)と張吉泉(ちょうきつせん)だった。この御本尊が極彩色と巧みな細工が施された阿弥陀三尊仏座像。これは明末清初期に制作された仏様で、かつて長崎を訪れた中国人の専門家が拝まれた際、「なんと素晴らしい中国の仏様が安置されているのか」と驚き感激されたという仏様だ。口元がキュッと引き締まり、かすかに笑みを浮かべるかのような表情。原爆の際、大切に一時避難され、その美しいお姿を今に伝える阿弥陀如来像。極彩色のとても珍しい仏像だ。


【分類●阿弥陀如来/3ページ 東雲山 浄安寺を参照】

歴史……………★★★
面相……………★★★★
親しみ度………★★★★


悟真寺・山門



悟真寺・本堂


悟真寺・三尊仏

●終南山光明院 悟真寺(しゅうなんざんこうみょういん ごしんじ)【浄土宗】
●曙町6-14 095-861-2654
●拝観は必ず寺務所へ声をかけて! 11:00〜15:00
●JR長崎駅からのアクセス
長崎バス/長崎駅前南口バス停から稲佐行きに乗車し、悟真寺前バス停で下車すぐ。
車/長崎駅前から約5分。
 

◆エントリー��9
延命寺の霊安堂の釈迦如来坐像

海を渡って行き着いた“縁”を感じる仏像

元和2年(1616)、岡山より訪れた龍宣和尚が、当時長崎で流行していた疫病を直すことと、港に出入りする船舶の海上安全を祈願するために建立した寺院。創建後まもなく、長崎奉行直々のお達しで『長崎界隈総祈願所』として宗旨、宗派にこだわらず全市民的な盛り上がりをみせたそうで、当時の長崎奉行所との親交の深さを物語るのが、入口の山門。
これは明暦3年(1657)に長崎奉行所立山役所の門をそのまま移築したものなのだ。残念ながら現存しているのは門扉のみ。この山門をくぐり境内に入ると、石段途中には病に悩む多くの人が回復を祈願して参拝するという“健康観音”がある。
そして本堂を正面に右手に建つのが今回紹介する仏像が安置してある霊安堂だ。
こちらの釈迦如来三尊像中央の中尊、つまり釈迦如来像に注目いただきたい。この仏像は元禄12年(1699)、長崎奉行丹波遠江守が寄付したものなのだが、実は波に乗って肥前国松浦郡に流れ着いたものを漁師が網で揚げたものなのだという。当時は船が遭難することも多く、仏像が流れ着くということも多かったようだ。遠路遥々海を渡り長崎奉行所へと辿り着いた仏像は、奉行所と親交の深かった当寺へ贈られ、それから3年後の元禄15年(1702)、釈迦如来像の脇侍である文殊菩薩と普賢菩薩が新調され、合わせて釈迦三尊として経蔵の守護仏として開眼供養式が挙げられたのだという。そして昭和42年(1967)からは、この霊安堂に安置されている。印相は、釈迦が瞑想をしているときの手の形からきている禅定印(ぜんじょういん)。左手のひらに右手を重ねて両親指を軽く触れ合わせている形は、まさしくこれは座禅を組むときの両手の格好だ。穏やかな境地を示すとされ、面相もお参りに訪れる方があるため時間内は自由に拝観することができるが、なにぶんここは霊安堂。礼儀だけはお忘れなく!


【分類●釈迦如来/2ページ 聖寿山 崇福寺を参照】

歴史……………★★★★
面相……………★★★
親しみ度………★★★


延命寺・三尊仏


延命寺・霊安堂


延命寺・釈迦如来

●医王山遍照院 延命寺(いおうざんへんじょういん えんめいじ)【真言宗御室派】
●寺町3-1 095-822-0378
●拝観自由 10:.00〜17:00
●JR長崎駅からのアクセス
路面電車/長崎駅前電停から蛍茶屋行きに乗車し、公会堂前電停で下車、徒歩5分。
県営バス/長崎駅前東口バス停から循環線または浜平・立山方面、網場・矢上・江の浦方面行きに乗車し、公会堂前バス停で下車。徒歩5分。
車/長崎駅前から約10分。

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【仏像の鑑賞ポイント】
【これこそはお宝!と指定された文化財仏像】
【感嘆!感動!ストーリーのある仏像】
【長崎ならでは!中国伝来の仏像】