Q.美術館というと、やはり絵画などの芸術作品を鑑賞にくるという印象が強いですが、館長のお話だと文化までも芸術だというような捉え方で、その芸術品が長崎県美術館に集約されるということでしょうか? 美術っていうのは、意味がないんですよね。美術で考えて、音楽で考えてそれぞれ行き着くところは同じですよね。例えば皆さんが、コンサートホールでモーツァルトを聞いて、美術館でゴヤを観て、こちらが美術でこちらが音楽っていっても、両方で感じている感動の大きさというのは、同じだと思うんですよ。芸術というのは、人間を幸せな気持ちにするものはなんなのか、人間を覚醒させるためにいろんな問題を感じさせることとは何なのかということを、お互いその分野で表現しているだけで、その問題に対して音楽で行き当たることもあれば、美術で行き当たることもある。しかし、その両方が上手い具合に配分されると、もっとわかりやすくなるかも知れないと思うんですよね。 また、その美術でゴヤっていうのを「18世紀のゴヤという画家がいた、彼はナポレオンのスペイン征服に対してこういう目を向けていた」という側面で解説するのか、「そのような問題は今のイラクの問題にも通じる」というふうに現在のものに置き換えて見せるのかで随分違ってくるし。現代の入り口っていうのがどうしても必要。現代の入り口っていうのが文化なんですよ。 食べることもお風呂に入ることも、愛しあうことも全部文化なんですよ。 その文化のエキスが芸術なんですよ。例えば、上澄み液だけを見て、そのものの実態はわからないじゃないですか。上澄みになる前の泥水を見ているから、上澄みがきれいに見えるんであって、はじめにきれいな透明な水を見ても感動しないですよね。そういう見せ方をすれば、たぶん今みたいに美術館っていうのは、人間の生活の外にあって、「なんか行ったけど、あんまりようわからんやった」という話にはならないと思うんですよね。そういう努力を美術館がすることによって、過去の美術家の作品が、すごく生々しい形で伝わってくれば、そんな難しいと言われることは全然ないと思うんですよね。 一番の問題は、美術館を担う人間達が美術は難しいものだと思いながら仕事をしていることですよ。専門家にしか、自分達にしかわからないと思ってやっているから相手に伝わらないんですよ。「なんて、美術って馴染みやすいものなんだろうか」って感覚を持って伝えれば、自然と伝わってくるんだと思いますね。
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