外国人居留地時代、中国や日本の港町を巡業する劇団があった。
住民たちは、劇団の芝居やコンサート、その他の興業物に胸躍らせいそいそと出かけていた。
これらの劇団は長崎公演の数日前には必ず呼び物に関する広告を英字新聞に掲載。
当日、大浦31番地のさして広くない公会堂は目白押しの住民で埋め尽くされ、後日各紙がその催しについて詳報したという。
明治17年(1884)12月、旅回りの演奏家の一座が来崎。
オペレッタや演奏による余興を披露した。
リードテナーはイタリアのペザーロ出身で、欧州では名のある66歳のオペラ歌手アゴスティーノ・パグノニだった。
しかし、彼にとって長崎は最後の寄港地となる。
彼は一座が滞在していた「ベル・ヴュー・ホテル」(現全日空ホテルグラバーヒル所在地)で、急病のため死去。
仲間が大浦国際墓地に建てた立派な墓碑には「偉大なるテナー歌手」という賛辞が刻まれていたという。
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