文・宮川密義

タイトルに「月」をあしらった歌は8曲程度ですが、歌詞を丹念に読んでいくと、意外に多く、無作為に選んだ100曲の歌詞の中の30曲に「月」の文字が見えます。
長崎の歌に描かれる「月」は、居留地の空に輝くザボン色の月、ぎやまん(ガラス)皿のような月など、エキゾチックな月です。



1.「月の居留地」

(昭和25年=1950、西岡水朗・作詞、西出次郎・作曲、岡本敦郎・歌)




長崎出身の作詞家、西岡水朗(にしおかすいろう)さんの作品です。
水朗さんは昭和5年に「雲仙音頭」で認められて上京、次々とヒット曲を書き続けた人です。(バックナンバー「古き良き時代を歌う」参照)
「棕梠(しゅろ)の蔭からザボン色した月がのぞくよ」は長崎らしい趣を感じますが、月をザボンになぞらえた表現は「長崎のザボン売り」以来、よく使われています。
「みなみが丘」は南山手のことですが、南山手を含めた大浦一帯が外国人居留地になったのは安政6年(1859)の開国の時です。
居留地は40年後の明治23年(1890)に撤廃されましたが、有名なグラバー邸やリンガー邸などの洋館群は居留地時代に建てられたものです。


彦山(中央左)から出た満月


2.「ぎやまん月夜」
(昭和26年=1951年、丘 灯至夫・作詞、古関裕而・作曲、二葉あき子・歌)




藤山一郎さんの「長崎の雨」(バックナンバー「雨にちなむ歌」(1)参照)の片面に入って、人気を集めました。
「夜のプラットホーム」や「水色のワルツ」など相次いでヒットを飛ばしていた二葉あき子さんが、それまでとは違った異国風のリズムと歌で新鮮なイメージを与えました。
長崎の地名は入っていませんが、長崎の夜のムードを描写したものです。
夜更けの長崎港では赤いランプも消え、夜風も静まり、ギヤマン皿のような月が冴えて、深夜のミサが流れます。
歌詞は静かな夜の風景ですが、「ドンドコドン…」という囃子ふうのフレーズがこの歌の聞かせどころで、異国情緒たっぷりの曲です。
「ぎやまん月夜」に似た歌として、次の「南蛮月夜」があります。


「ぎやまん月夜」の
レコード・レーベル


「ぎやまん月夜」を
歌った二葉あき子さん


3.「南蛮月夜」
(昭和33年=1958年、高月ことば・作詞、山田栄一・作曲、多摩幸子・歌)




ジャガタラ船や花火、オランダ坂、石だたみ、出島の灯り…といった長崎らしい描写が散らばる異国ムードたっぷりの歌です。
伴奏には「ぎやまん月夜」に似た太鼓のリズムが、異国風のムードを出しています。


「南蛮月夜」の レコード・レーベル


4.「ぎやまん朧月(おぼろづき)」
(昭和47年=1972、石川潭月・作詞、竹岡信幸・作曲、都はるみ・歌)



これも“ぎやまん”と“月”をタイトルにした歌です。
『南蛮渡来のフラスコの/甘いお酒についだまされて/蕾散らした紫あやめ…』と、出島のオランダ屋敷に出入りする遊女の悲しみを春の月になぞらえています。
“うなり節”の「惚れちゃったんだよ」(昭和44年)で人気が出た都はるみさんが、舞踊家向けにしっとりと歌った日本調の歌です。
日本調といっても、折からの長崎ブームに乗せて、エキゾチックなムードも加えており、はるみさんの新境地開拓への意欲も感じられます。
はるみさんはこの歌から半年後に、長崎の歌を数多く作った作詞家・石本美由起さんが長崎への恩返しの意を込めて作詞した「長崎の恋は悲しい」(猪股公章・作曲)を出しました。


都 はるみさん
(レコード表紙から)

5.「長崎の子守唄」
(昭和47年=1972、室田房子・作詞、中山治美・作曲、楠 アコ・歌)




作詞の室田房子(むろたふさこ)さんは長崎に生まれ、長崎で育った人。昭和28年(1953)に京都に嫁ぎましたが、ふるさと長崎への思いは募るばかりでした。
ところが、42年ごろから肝臓を病み、京都大学附属病院に入院します。たまたま、病室の窓から比叡山にかかる月を見て、「長崎の彦山(ひこさん)にかかる月と同じ」と思い、矢もたてもたまらず書いたのがこの歌詞でした。
室田さんを見舞った人の仲介で長崎の中山治美(なかやまはるみ)さんが作曲、レコードになりました。
しかし、室田さんはレコード発売6年後の昭和53年に帰らぬ人となりました。
なお、長崎では彦山から出る月が最も美しいといわれ、狂歌師・蜀山人(しょくさんじん=太田南畝)が長崎言葉で詠んだ「長崎の山から出づる月はよか こんげん月はえっとなかばい」は有名です。
長崎の歌の中にも『彦山の月』が多く取り入れられています。


作詞した室田房子さん


「長崎の子守唄」のレコード表紙



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