文・宮川密義

大正14年(1925)3月に始まったラジオ放送に続き、昭和に入るとレコードを媒体に多くの流行歌が作られました。
長崎の歌も昭和5年(1930)から10年(1935)にかけて、次々とレコードで発表され、長崎の歌としては“第1期黄金時代”の観を呈します。


1.「雲仙音頭」(西岡水朗・作詞、杉山長谷夫・作曲藤本二三吉・歌)




長崎の詩人、西岡水朗(にしおかすいろう=右の写真)が作詞した「雲仙音頭」と「長崎小唄」が昭和5年に発表され、注目されました。
水朗は長崎の海星中学卒業2年後に発表した「雲仙音頭」で詩人としての素質が認められ、作曲家の杉山長谷夫と声楽家の四家文子に招かれて上京、多くの作品を生み続けます。
ここで紹介する5曲もすべて水朗の作品です。


2.「長崎小唄」(西岡水朗・作詞、杉山長谷夫・作曲、藤本二三吉・歌)




「雲仙音頭」とカップリングされた「長崎小唄」には、古き良き時代の長崎情緒がたっぷりと歌い込まれ、親しまれました。
「仇な夜桜 中川づつみ…」は、明治の終わりごろから昭和10年代にかけて市民に親しまれた桜の名所と「カルルス温泉」付近のことです。
中島川上流にはボートが浮かび、花見シーズンには名物の桜餅も売られました。
秋には菊人形、冬は彦山の雪見でも賑わったものです。


花見でにぎわったころの中川
「カルルス温泉」付近


3.「長崎節」(西岡水朗・作詞、杉山長谷夫・作曲、植森たかを・歌)







長崎の風情を軽妙、的確に描写しています。
長崎港の朝、中国街の可愛い娘さんや中国盆、精霊流し、長崎の町並み、チャンポやカステラなどを、方言やわらべ唄を絡めて、軽快なテンポで繰り広げています。
これを歌った「植森たかを」は声楽家、奥田良三の別名です。


4.「阿蘭陀船」(西岡水朗・作詞、藤井清水・作曲、羽衣歌子・歌)




これも西岡水朗の作品。
このころの水朗は水を得た魚のように次々と作品を生み続けました。
「和蘭陀船」も長崎の古き良き時代の長崎です。
外国からさまざまな品を満載して入港するオランダ船の様子を、水朗お得意の軽妙なタッチで描写しています。
これを歌った羽衣歌子は、この昭和5年に出て大ヒットした「女給の唄」で知られる浅草オペラの人気歌手でした。


5.「長崎ぴんとこ節」(西岡水朗・作詞、藤井 清水・作曲、作 栄・歌)




昭和8年(1933)に発表された西岡水朗らしい作品。
題名の「ぴんとこ」は長崎市内東小島にある坂道に付けられた名前です。

長崎名勝図絵にもあり、坂には伝説が隠されています。
元録の昔、中国の若い商人、何旻徳(かひんとく)が丸山遊女・登倭(とわ)と恋仲になりますが、登倭に横恋慕した代官にニセ金作りの犯人に仕立てられ、殺されます。

悲しんだ登倭はその代官を殺し、自分も旻徳の後を追って自殺するという物語。


東小島にある「ぴんとこ坂」


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