文・宮川密義

1,500曲を超える長崎の歌の中で、タイトルに「春」を付けたものは数曲しかありませんが、美しい長崎の街を花でたとえた歌も多くあります。
一番多いのはアジサイの花ですが、これは雨の長崎を描写したものが多いようです。
バックナンバー「雨にちなむ歌〜[2]参照

ここでは“春”のイメージで作られた歌の中から…。


中島川河畔に桜が咲き誇っていた
明治末期のカルルス温泉付近
(長崎文献社提供)

1.「春の長崎」
(昭和10年=1935、渡部龍夫・作詞、山田栄一・作曲、新橋喜代三・歌)




東海林太郎(しょうじたろう)さんが歌った「長崎行進曲」のB面に収録された歌です。
作詞は「長崎行進曲」と同じ長崎の渡部龍夫(わたべたつお)さん。
この2曲で作詞家を目指して旅に出て、枯野迅一郎(かれのじんいちろう)のペンネームで、五月みどりさんの「おひまなら来てね」などの作品を残しました。
歌詞に見られるように、この歌は港祭りのイメージソングで、この年(昭和10年)に催された長崎開港365年記念の「港まつり」でよく歌われました。
この頃の長崎では、中川町や桜馬場町あたりは桜の名所とうたわれるほど桜が多く、特に中川町の中島川河畔にあった「カルルス温泉」は有名です。


「春の長崎」の歌詞カード

2.「長崎の花売娘」
(昭和25年=1950年、松村又一・作詞、上原げんと・作曲、岡 晴夫・歌)




岡晴夫(おかはるお)さんは昭和14年(1939)の「上海の花売娘」のヒットに続けて「南京の…」「広東の…」と『花売娘』シリーズを出しました。
戦後も昭和21年(1946)の「東京の花売娘」が大ヒット。
そして25年の「長崎の花売娘」となったわけです。
2年前に出てヒットしていた「長崎のザボン売り」を意識した企画のようですが、ザボン娘は登場しても、長崎に花売り娘は登場しなかったようです。
なお“花売娘”シリーズはこのほかに、南京、横浜、アメリカ、道頓堀…と続きました。


「長崎の花売娘」の楽譜表紙

3.「長崎の花」
(昭和25年=1950、サトウハチロー・作詞、古関裕而・作曲、藤山一郎・歌)




「長崎の鐘」と同様、永井隆(ながいたかし)博士の随筆「長崎の花」に取材した作品です。
永井博士の随筆は昭和25〜26年に「東京タイムス」に連載されました。
作詞・作曲・歌は「長崎の鐘」と同じトリオです。
歌詞には十字架やアンゼラスの鐘などが出ており、「長崎の鐘」の延長線上にあるようですが、この歌の“花”は「異国の船を待つ長崎の女性」のイメージです。


4.「花のオランダ船」
(昭和29年=1954年、石本美由起・作詞、万城目 正・作曲、美空ひばり・歌)




美空ひばりさん主演の東映映画「唄しぐれ・おしどり若衆」(中村錦之助共演)の主題歌です。
昭和23年に「長崎のザボン売り」でデビューした作詞家・石本美由起(いしもとみゆき)さんが6年後、ひばりさんと長崎を結び付けて出しました。
歌詞はオランダ船の吊りランプ、カピタン唄、花はジャスミン…などとエキゾチックな単語が並び、華やかな長崎の港の風景を歌っています。


5.「春一輪」
(昭和54年=1979年、東海林 良・作詞、大野克夫作曲、石川さゆり・歌)




八代亜紀さんの「舟唄」や村木賢一さんの「おやじの海」などがヒットしていた頃、可憐な歌声で流れたのが石川さゆりさんの「春一輪」でした。
「津軽海峡冬景色」以来、しばらく鳴りを潜めていたさゆりさんがイメージチェンジを試みた歌です。
1節目で長崎の春を軽快に歌ったものでしたが、折から演歌の世界は“北国志向”となって南国長崎は影が薄くなり、さゆりさんも間もなく「命燃やして」で熱唱型に戻りました。


「春一輪」のジャケット


【もどる】