● 社中に馴染みの長崎の料亭

長崎龍馬の道--6 藤屋跡、7 玉川亭跡、12 料亭一力、19 清風亭跡、26 引田屋(史跡料亭 花月)



龍馬や社中の面々が、長崎で料亭を利用していた記録は数々残されています。しかし、それは芸子衆をあげてのドンチャン騒ぎではなく、主に密談の場であったようです。幕末に来崎した諸藩の武士が多く参詣したといわれる「若宮稲荷神社」vol.14龍馬ゆかりの観光名所案内1の参道脇にあった「藤屋」は、もともとは日本料理店でしたが、慶応元年(1865)に西洋料理店となりました。この料亭を龍馬は佐々木高行らと度々酒宴に利用していたようです。ここで西洋の味を口にしていたことは間違いないでしょうね。また、中島川に架かる大井手橋のたもとにあったのは、川魚料理が名物の「玉川亭」。庭に川水を引き多年草のシダが栄える、座敷からの美しい眺めを誇るこの料亭において、龍馬は長崎に来た桂小五郎(木戸孝允)を佐々木高行と引き合わせました。おそらくは、大政奉還運動と薩長土藩の連携などについてここで会談したといわれています。今も寺町通りの一角で往時の風情そのままに営業する「料亭一力」は、文化10年(1813)創業の老舗料亭。ここには、高杉晋作、井上馨ほか、社中の面々も足しげく通ったそうです。龍馬と後藤象二郎の初対面の場となったいわゆる“清風亭会談”で知られるのは「清風亭vol.5歴史的会談が行なわれた「清風亭」。そして、海外貿易で栄華を極めた長崎の象徴、花街丸山随一の妓楼「引田屋(ひけたや)」。幕末、ここは志士らの社交場兼情報交換の場であったといいます。花月は、寛永年間(1624〜1643年)創業のこの引田屋の庭園にあった茶屋でしたが、引田屋の廃業の後に庭園と建物を引き継ぎ、県指定史跡の史跡料亭花月として、当時の風情を今に伝えています。




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