● 歴史的会談が行われた「清風亭」

長崎龍馬の道--19 清風亭跡

「藩を通じ尊皇攘夷の実現をはかる」―― これは、文久元年(1861年)8月、江戸で結成された武市半平太(瑞山)「土佐勤王党」の主張です。龍馬は、この土佐勤王党に九番目に加盟しました。慶応3年(1867)1月、幕末史上極めて重要な出来事のひとつにあげられる「清風亭会談」が長崎で行なわれました。それは、土佐藩主 山内容堂が勤王党を弾圧した最前線にいた土佐藩政 後藤象二郎と、土佐勤王党出身者を多く擁した社中の代表、坂本龍馬の会談です。後藤にとって社中の面々は、勤王党に暗殺された伯父 吉田東洋の仇でもありました。その二人が会談をもつことは周囲の者にとって大変な驚きで、「後藤斬るべし!」と息巻く者も少なくなかったといいます。会談の場「清風亭」は、当時、長崎土佐商会の経営にあたるため滞在していた後藤象二郎の贔屓の旧榎津町にあった料亭で、二人はこの会談を通して意気投合。以後、彼らは行動を共にし、政治活動に邁進。同年4月には土佐海援隊を結成させ、10月には大政奉還が実現しています。歴史的重要な場所となった清風亭はこれまでそれが旧榎津町とされるだけで正確な場所は不明でした。しかし、最近になって鍛冶屋町の大光寺の過去帳や明治初期の榎津町の地図などから、榎津町65番地、現在の万屋町5番11号一帯と確定されました。現在、『長崎まちなか龍馬館』(http://www.nagasaki-ryoma.jp/)には、本邦初公開である、この「清風亭」所蔵の品々が展示されています。龍馬が目にしたかもしれない屏風や、使ったかもしれない皿やお重などの品々。ぜひ、その目でご確認ください。






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