革命に向けたそれぞれの道
孫文と梅屋庄吉
苦楽を共に生きた二人の友情

大正4年(1915)、東京都の梅屋庄吉邸で盛大に行われた孫文と宗慶齢(そうけいれい)の結婚パーティ。列席者の顔ぶれを見ると、孫文、そしてその会場を提供した庄吉の交流の広さ、人望の厚さを実感させられる。後に立憲政友会総裁となる犬養毅、犬養の側近で衆議院議員の古島一雄、政友会幹事長の小川平吉、「蒙古王」の異名をとる政治家 佐々木安五郎、自由民権運動を推進するために発足した「玄洋社」の総帥で国家主義者の頭山満、政財界の黒幕、杉山茂丸、宮崎滔天(とうてん)、萱野長知といった、革命の志士達……。総勢50〜60人に及ぶ各界の大物が顔を揃えた。

秦の始皇帝以来、2000年以上続いた皇帝政治に終止符を打ち、近代中国の道を切り開いた孫文。彼が実現した1911年の「辛亥革命」の根底には、彼が唱える「三民主義」があった。三民主義――それは、異民族支配から独立する「民族主義」、主権が皇帝でも国王でもなく、国民にあり、選挙によって選ばれた議員で共和制政治を行なう「民権主義」、地主や資本家の利益独占を排除する「民生主義」のことだ。

孫文は日本を革命運動の基地とし、革命生涯の実に3分の1を日本で過ごした。中国革命を明治維新の第二歩だと考え、日本の支援を要望したのだ。政治家の中には、孫文の革命運動に同情、支援しながら、日本の対中国政策に利用するという二面性もあったが、孫文と庄吉の関係はそんな結びつきではなく、まさしく、庄吉の理想と人生観を実現化する同志として、何の見返りも求めず、誠心誠意、自分の財産を傾けて孫文の革命運動を支えた。

革命には莫大な資金が必要となる。1895年の広州起義にはじまる革命運動の武器、弾薬の調達、機関紙の発行資金、革命へ赴く志士らへの援助金、そんな彼らの留守宅の世話、孫文が外国へ逃れるための旅費、軍票の作成、医療救援隊の派遣、飛行場建設から飛行機の調達……庄吉は、映画ビジネスで得た莫大な財を、孫文が命を賭して成し遂げようとした革命のために投入し続けた。また、革命に失敗して日本に亡命してきた孫文を、かくまい、精神的に支えたのも庄吉だった。

梅屋庄吉邸で盛大に行われた結婚パーティから10年。大正14年(1925)3月12日、孫文は重病化した肝臓がんのため北京で死去した。享年58歳、中国統一という終着点に手をかけたばかりの無念の死だった。

庄吉は孫文の死に直面し、周囲が心配するほどひどく落胆する。

「中国の親善 東洋の興隆将又(はたまた)人類の平等に就いて全く所見を同じくし、殊に之が実現の道程として、先ず大中華の革命を遂行せんとする先生の雄図と熱誠は、甚だしく我が壮心を感激せしめ一午の誼(よしみ)遂に固く将来を契(ちか)ふに至る」

これは、2人が「盟約」を交わした日のことを振り返り、庄吉が孫文の墓前で、読み上げた「追悼の辞」の内容だという。その日から約30年、盟約は揺らぐことなく二人を繋いでいた。

その後、庄吉は孫文の精神を後世に伝えるため、また、緊張が高まる日中関係の中、孫文が中国の国父であるという存在にとどまらず、彼の自由・平等・博愛の主張に深く共鳴し、中日親善こそが東洋平和に繋がると信じ、娘 千世子のために貯えていたお金を娘に頼み込み拝借。それを投じて銅像4基を中国に寄贈した。また、制作費の問題で実現こそ叶わなかったが、孫文の生涯とともに日本が革命の拠点となったこと、革命を支援した日本人の存在を中国人に知って欲しいと、映画『大孫文』の制作にも取り組んだ。

昭和9年(1934)11月23日、庄吉は、この世を去った。翌日の新聞には庄吉の死を次のように報じた。

「支那革命の恩人 梅屋庄吉翁逝く」(東京日日新聞)
「支那革命に隠れたる邦人の黒幕 孫文を援けた 梅屋翁逝く」(時事新報)

庄吉が中国革命に関して残した言葉はたった一行だったという。

 支那の革命に際し彼国の志士と交り終始、聊(いささ)か所信に向つて努力せるを信ず。

辛亥革命から100年、また上海市と長崎県とが「友好関係」を結んで15年であるのを記念し、今年11月には、10年前に寄贈された孫文像に応える形で長崎県から梅屋庄吉座像が上海に寄贈される。


唐人屋敷跡内福建会館の孫文像


和服姿の梅屋庄吉の座像
<山崎和國氏制作>

最後に−−。
中国と日本。古くから交流のあった隣国間には、華やかな交流史もあれば暗い時代もあった。こと長崎である。上海航路で栄えた明治期以降は、長崎から中国へ活動の拠点を移す商人達も多かった。辛亥革命から100年、そして日中国交正常化40周年である今年、日中ともに、長崎出身の一人の男、梅屋庄吉にスポットが当てられている。ぜひこの機会、あらゆる困難を乗り越えながら親友 孫文を支え抜いた彼の精神に触れてほしい。きっと彼の生き様は多くの方の心を揺さぶることだろう。そして、真の革命の意味が少しだけ見えてくるような気がする。
 

参考文献
『革命家 孫文』藤村久雄(中央公論社)
『革命をプロデュースした日本人』小坂文乃(講談社)
『盟約ニテ成セル 梅屋庄吉と孫文』読売新聞社西部本社編集室編(海鳥社)
『国父孫文と梅屋庄吉』車田譲治(六興出版)

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