日本の歴史を表す不思議な言葉

番外編といえる定着の仕方をした言葉もある。

その23●おらんだ(葡/ HOLANDA 蘭/ HOLLAND)がそれ。オランダ人を乗せた船が初めて日本に訪れたのは慶長5年(3月15日/1600年4月29日)のこと。大分県の臼杵に漂着した難破船、デ・リーフデ号だ。この時、長崎のポルトガル人宣教師とポルトガル通詞が通訳として派遣された。ポルトガル語では「H」の発音がない。つまり、正式には「ネーダーランデゥ」または「ホーラント」といったオランダ国名が、この時、ポルトガル人を介した「オランダ」という発音で日本に伝わり、定着していったということになるのだ。はたまた、出島のオランダ商館長のことを「カピタン」というが、これも実はポルトガル語の その24●かぴたん(葡/CAPIT〜AO)。オランダ商館長の正式名称は「オッペルコープマン・エン・オッペルホーフチ」。舌を噛みそうなこの長ったらしいこの名前は却下され、すでに耳馴染みとなっていた元々ポルトガル本国からインド、またはインドから東亜各地に派遣される艦隊の司令官の名称「カピタン・モール」が借用され「おらんだかぴたん」となった。この「おらんだかぴたん」は幕府の正式公用語。つまり「カピタン」とは、はじめから日本人が使い勝手で定着させた日本語だったのだ。
 

海外から長崎へ
こんなものまで?驚きの言葉たち

その25●おてんば(蘭/ONTEMBAAR)
断定されてはいないが、オランダ語源説が有力なのが「おてんば」。「御転馬」「御伝馬」という字も見られるが、現代では「お転婆」という字が一般的。日本ではそそっかしくて出しゃばりの女の子の代名詞だが、オランダでは形容詞で“制御できない”“屈服しない”“野生の”という意味らしい。意味合いを比べてもオランダ語源説は十分にありえそうだ。

その26●どんたく(蘭/ZONDAG)
「どんたく」といえば、5月の「博多どんたく」。なんと、この伝統の祭りも舶来語。オランダ語で「ソーンダック」が転訛して「どんたく」なのだ。意味は英語の「サンデー」、つまり日曜日のこと。プロテスタントのキリスト教徒であるオランダ人にとって、日曜日は安息の日。平戸から出島に移って来た彼らに、長崎奉行はキリスト教義の禁止事項を言い渡し、日曜日や聖日の祝い日を休んではならないとしていた。そのため出島のオランダ人達には200年余り、日曜日の休日はなかったという。晴れて休みが許されたのは安政の開国以降。世界各国から外国人がやって来てからのことだ。ちなみに土曜日のことを「半どん」というが、「半」は日本語の「半分」、「どん」はオランダ語の「日曜日(休日)の略」という日蘭持ち寄りの造語である。

その27●ぱあ(蘭/PAUW)
「あん子、ぱあじゃない?」などと使う「ぱあ」。オランダ語で「くじゃく」を意味するこの「ぱあ」は、江戸時代から使われていた言葉。それもどうしてか、“愚か者”“馬鹿者”特に美人で頭の弱い娘の蔑称として使われていたという。今でもその使われ方はほぼ同じで、完全なる憎まれ口ではなく、ちょっと愛着を込めたニュアンスで使われているようだ。くじゃくのオスが華やかでメスが地味な外見と、オスだけが子育てをするという生態に何らかの関わりがあるのかもしれず……。


その28●ぺけ(マレー/PEGI)
「ダメ」「はずれ」的な意味合いで使われるの「ペケ」。どうも「バツ」の昔ながらのいい方というニュアンスがあるが、伝わったのは江戸時代。出島オランダ人に仕える東南アジア系の人達のマレー語「ペッギ」からのようだ。また、中国で「不可」を意味する「プコ」という説もある。もしかしたら出所は同じかもしれず、辿り着いた日本では、未だ当時の意味合いを変えず使われている。

その29●れってる(蘭/LETTER)
本来、オランダ語での意味は「文字」。それが、商品名を知らせるために瓶や缶詰などに貼られた文字を指すようになり、やがては特定の人物や集団に対して評価をする、しかも悪い意味で使われる意味として使われるようになった。色眼鏡で見られるような「レッテル」だけは、極力貼られたくないものだ。

その30●八重洲(蘭人 JAN JOOSTEN VAN LODENSTEIJN)
さて、最後に長崎を通過してはいないのだが、東京の地名「八重洲」をご紹介。これは、実は日本に初めて上陸したオランダ人「ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン」の名前に由来する。その23●おらんだ(葡/ HOLANDA 蘭/ HOLLAND)でも紹介したオランダ船、デ・リーフデ号の航海長であったイギリス人、ウィリアム・アダムス(三浦按針)と共に1600年に大分県の臼杵に漂着した彼は、家康の信頼を得て江戸城内堀内に邸を貰い受け日本人女性と結婚。その屋敷の場所が現在の八重洲辺りなのだ。「ヤン=ヨーステン」が訛り「耶楊子(やようす)」となり、これが後に「八代洲(やよす)」、「八重洲(やえす)」となったそうだ。八重洲には、彼のデ・リーフデ号の彫像が今も残されている。
 

今まで何の気なしに使っていた言葉が、船に乗ってやってきた外国の言葉だったという新鮮な驚きが味わえた。また、そんな「舶来語」から、これまで知らなかった長崎の歴史の一面が浮かび上がった。前回の渡来植物に続き、今回は舶来語に触れてみた。その数30。しかし実は、舶来語はまだまだ私達の身近に溢れている。ちょっと疑問を感じたら調べてみると面白い。そこには、今まで知らなかった思いもよらないエピソードが隠れているに違いない。

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