「出島の三学者」として知られるケンペル、ツュンベリー、シーボルト。彼らは、鎖国期に、長崎の出島にオランダ商館医として来崎し、博物学的研究を行なった学者達。3人が長崎から海外へ伝えた植物の話のほんの一部を紹介しよう。
 

長崎から海外へ
ケンペルが持ち帰ったギンコ!?

ケンペル(エンゲルベルト・ケンペル)は、ドイツ人。元禄3年から同5年(1690〜1692)まで出島に滞在した。出島の中に最初に薬草園を作ったのはこの人。
彼らは出島の外になかなか出ることができなかったが、年に一度(寛政2年以降は4年に一度)オランダ商館長は、義務として若干の随員を伴って江戸に赴き将軍へ拝謁して貿易許可の礼をのべ、献上品を呈することが年中行事となっていた。いわゆる「江戸参府」だ。ケンペルは、わずか2年の滞在期間に2度の江戸参府を経験している。元禄4年(1691年2月13日)、初めての江戸参府の旅に出た。彼の目に新鮮に映ったもの、それは、美しい田園風景だった。そして、その際に田の傍らに植えられた「お茶の木」に注目している。彼は、後に自身の著書『廻国奇観』において、お茶に関する精密な記述を残しヨーロッパで大きな注目を浴びた。ちょうど17〜18世紀、西洋にお茶が普及する時期だったのだ。
ケンペル
(出島ホームページより)
また、ケンペルが伝えた植物で最も有名なものが「ギンコ」。聞いたこともない名前に首を傾げてしまう人もいるかもしれないが、実はこれ、皆さん、よ〜くご存知の植物なのだ。答えは「イチョウ=銀杏」。鎌倉時代の豪族による南宋との交易によって、中国から初めて日本へギンナンの実が伝わったと考えられている。ケンペルは、ヨーロッパでは絶滅したとされていた銀杏が、長崎の神社や寺の境内に繁茂する巨木をみて驚愕したのだそうだ。そして、彼は江戸時代の呼称であった銀杏「Ginkyo(ギンキョウ)」の名でヨーロッパに紹介した。ケンペルが書いた原稿は死後、買収されるなど幾多の変遷を経るが、植物分類学の始祖といわれるリンネの目にとまり、リンネが書いた植物分類の初版に取り入れられた。が、しかし。リンネがつけた学名は「Ginkyo」ではなく「Ginkgo」。つまり「y」がリンネの筆記体では「g」となったのだ。そのため「ギンコ」と発音され広まってしまった。一度つけられた学名は消すことはできず、図鑑を開くとラテン語で「Ginkgo」と記述。かくして、銀杏の木は英語でもドイツ語でも、はたまたフランス語でも「 Ginkgo(ギンコ)」と言われ続けている。
 


長崎から海外へ
ツュンベリーが和名で広めた花


次に来崎した三学者の一人は、スェーデン人のカール・ペーター・ツュンベリー。彼は安永4年から同5年(1775〜1776)、約1年4ヶ月間、出島に滞在。
はじめは島内の植物や昆虫、島内で飼育する牛や豚の飼料として運び込まれる草の調査などを行っていたが、やがて薬草採取の目的と称して長崎奉行に付近の植物採集の許可を願い出、許可が下りると付近の野山へと植物採集に出掛けた。また、彼も1度だけ「江戸参府」を経験している。1776年3月4日に出島を出発。彼は道中や宿泊地で植物や昆虫を積極的に採集。特に箱根路では度々駕籠を降りて付近を歩き回り採取。結果、長崎、箱根、江戸の植物約800種類を採取したという。また、長崎への帰途、大坂の植木屋で多くの植物を買いこむことができた。そして帰国後、ツュンベリーが著した「日本植物誌」によって日本の多くの植物が初めて学名を付けられ世界に紹介された。これこそツュンベリーが今でも「日本植物学の父」と呼ばれる理由だ。


ツュンベリー肖像画・模写
(長崎歴史文化博物館蔵)

さて、そんな彼が日本の植物に命名したものは数多いが、和名をそのまま種名や属名に用いたものもある。カキ(Diospyros kaki Thunb.)や、サザンカ(Cammellia sasanqua Thunb.)、ナンテン(Nandina domestica Thunb.)などがその代表だ。なかでも、オペラ「椿姫」やシャネルの「カメリア」など、ヨーロッパでも人気のツバキだが、同じツバキ科のサザンカ(山茶花)は、ツュンベリーが、ヨーロッパへ持ち帰ったことによって、西欧でもしだいに広まっていった花。日本の冬の風情をヨーロッパで開花させた偉業者なのだ。
 

長崎から海外へ
シーボルトがゆかりの日本のバラ

フリップ・フランツ・フォン・シーボルト。文政6年から同11年(1823〜1828)に出島オランダ商館医を務めた三学者の中で最も知られる人である。植物学者的側面からいえば、シーボルトというと、愛する女性・お滝さんを想い、「ヒドランゲア・アジサイ」と学名をつけて世界に紹介した「アジサイ」が有名だ。他にも学名に彼の名前が付いた数多くの植物をはじめ、彼にゆかりのある植物は多いが、シーボルトと縁深いオランダで、街路樹としてよく見られる花がある。日本原種の花がハマナスだ。和名は「浜梨(はまなし)」のなまりで、実の形が同じバラ科のナシに似ていることから名付けられた学名は「ロサ・ルゴサ」。これは「葉にしわがあるバラ」という意味で、実はこの学名は、シーボルトの約50年前に来崎したツュンベリーが付けたのだそうだ。北海道から島根県の砂浜に自生するこの植物は、オランダでは 「実がつく日本のバラ」という意味の「ヤポンス(ジャパニーズ)ボトルローズ」と呼ばれ、春から夏に直径8cmほどの花をつける。19世紀末から盛んに交配され「ハイブリッド・ルゴサ」と呼ばれるバラの一群ができるなど、フランス北部から北欧の道路にもよく植えられているそうだ。



シーボルト
出島ホームページより)


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