元亀2年(1571)、長崎港にポルトガル船が入港して以来、来航する貿易船は、長崎の町に数々の植物を持ち込んだ。また鎖国時代に出島に滞在した植物学者達は、日本に自生する多くの植物を母国に持ち帰り、広く海外に伝えた。今回は長崎を通過して日本と海外を結んだ植物達の歴史に注目!


ズバリ!今回のテーマは
「長崎発信の植物を探せ!」なのだ




海外から長崎へ
ポルトガル渡りの嗜好品!?

植物という言葉の印象だと、すぐに鑑賞用の草花を思い浮かべるが、必ずしもそれだけではない。そして、植物が海外から持ち込まれるいきさつも様々だ。
慶長年間(1596〜1615)に伝来し、栽培されるようになった植物が煙草。持ち込んだのは南蛮船で訪れた宣教師達。ポルトガル渡りの煙草は、葡萄酒などと同じく、『嗜好品』としての上陸だった。今でも夫婦川町の春徳寺の下にある「たばこ栽培発祥の地」の石碑が表すように、かつてこの地に建てられた長崎初の教会堂、トードス・オス・サントス教会の近くを拓いた土地に日本で初めて煙草が栽培された。教会が破却され、春徳寺が建てられた後も栽培は続けられ、「桜馬場タバコ」「長崎タバコ」と名付けられた長崎名産として、江戸や大阪までその名を知られたという。
 

海外から長崎へ
オランダ渡りの梱包材!?

5月から初秋にかけて、道々に鮮やかな緑色の絨毯広げてくれるのは、クローバー(ヨーロッパ原産)。幼い頃、幸福をもたらすといわれる「四ツ葉のクローバー」を夢中になって探した思い出を持つ人も多いことだろう。このクローバーは、幕末に近い弘化年間に長崎に渡来してきた植物だ。レンゲ草に似ていることから別名「オランダレンゲ(阿蘭陀蓮華)」または、「オランダゲンゲ(和蘭ゲンゲ)」とも呼ばれ、和名は「シロツメクサ(白詰草)」という。この字面、この響きを聞いてピン!ときた人は勘がいい。このクローバーが長崎に持ち込まれたのには、れっきとした役割があった。オランダ船で運ばれてくる荷の中には、医療器やギヤマンなどの積荷が壊れないよう、クッション材として干し草が詰められていて、この干し草こそがクローバーだった。出島に到着後、種をまいたところ、発芽し白い花が咲いたため、それ以来「シロツメクサ」と呼ばれるようになったのだそうだ。
 

海外から長崎へ
オランダ渡りの観葉植物!?

今では当然のように食卓に上る数々の野菜達の中にも、オランダ船によって出島に入り、全国各地へ伝わっていったものは数多い。なるほど!と納得するその和名に注目!  まずはキャベツ。原産はヨーロッパで和名は「オランダナ」。

地中海沿岸マケドニア原産のパセリは「オランダセリ」で、別名「オランダ三つ葉」とも呼ばれていた。

地中海東部原産のアスパラガスは、細かく切れた葉が成長すると「雉が隠れることができるほど」生い茂ることから「オランダキジカクシ」、または「オランダウド」といわれた。
ヨーロッパ原産のクレソンは「オランダガラシ」。
いずれも17世紀頃に伝わったのだが、初めはなんと鑑賞用植物として渡来。これらが食用の野菜として伝わったのは、幕末から明治にかけてで、各地で栽培されるようになったのは明治以後。


また、南アメリカ原産、ナス科のトマトも例にもれず、この頃に伝わったのだが、青臭さと、真っ赤な色が敬遠され、当時は「唐柿」と呼ばれ、もっぱら鑑賞用植物。長崎の郊外では「オランダなすび」と呼び、高級品として栽培する農家もあったらしく、昭和に入って急速に需要が伸びた野菜だという。

つまりは、長い期間出島で過ごすことになるオランダ人達は、いつでも祖国の食事が楽しめるよう、様々な植物やその種子を出島に持ち込み栽培したのだ。そして、出島から長崎の庶民へ、また全国各地へと広がっていった。「オランダ・・」と名付けられた和名が、その歴史を物語っている。


イチゴの和名も「オランダイチゴ」
 

海外から長崎へ
各国の花もオランダ船にのって

そして、当然ながら鑑賞用として出島入りした植物もある。ダリア、ヒマワリ(北アメリカ原産)、オシロイバナ(メキシコ原産)、マリーゴールド、オジギソウ、カラー(南アフリカ原産)、ストック(南ヨーロッパ原産)、カーネーション(南ヨーロッパおよび西アジア原産)などがある。
ダリアがオランダ船にのって出島に入ったのは、天保13年(1842)頃。ダリアと呼ばれるようになったのは幕末のことで、出島から江戸へ渡る頃の名前は「天竺牡丹」。確かに、 おおぶりで華やかな花の形が牡丹に似ている! 幼い頃、面白がって遊んだ野草、指先で優しく触れると葉を閉じるオジギソウもそうだ。そして、カーネーションも出島から。渡来時は、ナデシコ科だというのも頷ける、花びらが5枚の原種に近い種類だったという。今では通年、花屋にディスプレイされる切り花の代表格だが、本来は夏の花。歳時記には、和蘭石竹(オランダセキチク)、和蘭撫子(オランダナデシコ)の名で、夏の季語にある。
 

海外から長崎へ
中国渡りの長崎名物!?

長崎を代表する名産品である「びわ」。初夏にたわわな実をみのらせるびわの木は、ほとんど花のない厳冬期の11〜1月に花を咲かせる不思議なバラ科の木だ。ビワが正倉院文書(762)に記述されていて、古くから日本にある木であることが確認されているのだが、現在の食卓に上るビワの品種は中国からの渡来植物。長崎の名産、茂木びわは江戸時代末期の天保年間(1830〜1844)に、唐船によって長崎に持ち込まれた。当時、代官屋敷で女中奉公していた北浦元木場の三浦 シヲがその種を貰い受け、弘化2年(1845)、甥の山口権之助に送り、権之助が家の一隅にその種を蒔いて茂木びわの原木を作ったのだといわれている。

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