長崎の歴史と四季を盛り込んだ、卓袱料理

長崎の伝統料理の代表格「卓袱料理」は、もともとは唐人屋敷に住んでいた中国人が、日本人や西洋人をもてなすために作った料理だったといわれている。それが一般家庭に伝わり、現在のように料亭で振る舞われるご馳走へと変化。しかし、唐人屋敷が造られる以前から、その兆しはあったようだ。唐船でやってきた中国人達は、市中に雑居している間に長崎の女性と暮らすことが増えていったからだ。そこで家庭にも自然と中国料理が広がっていく。その際、すでに長崎の女性が食べていた「長崎天ぷら」や「ゴウレン」なども食卓に上った。この時の食卓が、すぐに部屋の片隅に片付けられ、狭い住居には便利な円卓。この長崎の唐人達が使っていた朱塗りの足の短い円卓こそ、日本の一家団欒の象徴である「卓袱台(ちゃぶ台)」の原型なのだ。

「卓袱」の「卓」は、テーブル、「袱」はテーブルクロスを意味し、もともとは、卓袱台=一家団欒同様に、テーブルを囲んで食事をするという意味だった。それがしだいに、いろんな人達と食事を重ね、どんな人の口にも合うようにと、食材や調理法を工夫、日本人の器へのこだわりも加わり、大皿に人数分の料理を盛りつける現在の食べ方を「卓袱料理」、と呼ぶようになったのだという。つまり、基本は円卓を囲んで、誰もが満足する和洋折衷料理。もちろん、そこには長崎の旬の味覚も活かされる。皿数の多さもご馳走の象徴。円卓いっぱいに配される大皿は圧巻だ。「お鰭」に始まり、刺身、酢の物などの小菜が数皿、中鉢、大鉢、煮物、御飯、水菓子、梅椀……。その中には、前述の南蛮料理「長崎天ぷら」や、唐人から伝わった「東坡煮(トウロンポウ)」、やはり中国から伝わった「蝦(ハー)」、トーストの音訳「多士(トーシー)」が語源の、蝦のすり身をパンで挟んで油で揚げた「ハトシ」などがある。これらは、各家庭にも普及しているので、料亭に足を運ばずとも、お正月や賀寿など、様々な祝いの席など、家々でアレンジを効かせた卓袱料理が食卓に上ることも多いだろう。11〜12月だけに出回る片淵かぶ(赤かぶ)も、卓袱料理の小菜(アラやはもの湯引き)などのつけ合わせに登場する。これは家庭でも漬け物や三杯酢につけた酢の物として馴染み深い長崎の味だ。


近頃は、居酒屋やバイキング店でも
見かける長崎惣菜として定着


料亭のほか、結婚式などの祝事でも
卓袱形式が多く取り入れられている
 
 卓袱料理の謎●「角煮まんじゅう」は卓袱料理?

近年、新たに長崎名物に加わった「角煮まんじゅう」のルーツは「東坡煮」という中華料理。長崎では卓袱料理に含まれ、長年親しまれてきた定番料理だ。だが、卓袱では「東坡煮(角煮)」のみ。ゆえに、卓袱=角煮まんじゅうではない。実は、この食べ方の本当のルーツは、ちゃんぽん皿うどんで知られる「長崎中華」のコース料理(もちろん、単品でも戴けるが)。トロトロの豚の角煮と、2つに折れたふわふわのまんじゅうが別々に出てきて、このまんじゅうの生地を開いて、角煮を挟んで食べる。このまんじゅう生地にも、ちゃんぽんや皿うどんに入っている長崎ならではの「唐灰汁」を入れた店が多いというのも特徴。というわけで、最初からまんじゅうの中に角煮が入っている「角煮まんじゅう」の登場は、長崎人にとっては、温故知新、目からウロコの大衝撃だった。


お馴染みの角煮。 年配の方は
トウロンポウの方が馴染み深い?



角煮はもちろん、まんじゅうも
各店個性があるので食べ比べを!
ちゃんぽん皿うどん、トルコライスにミルクセーキ。その後に誕生した長崎名物も数々あるが、実は、どれも物怖じすることなく、どんな料理にもチャレンジしたり、吸収しアレンジを加えていったりする長崎人の特性によって、生み出されてきた気がする。それはもしかしたら、長崎の町ができ、南蛮料理が伝わった頃から、ご先祖様に組み込まれたDNAの影響なのかもしれない。

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