教会と時計の深〜い関係
町に響いたチャイムの話

では、これから長崎の歴史上に登場する時計を振り返ってみよう。

開港直後の長崎。この土地柄を示すにふさわしい時計が突如やってきた。現在の県庁敷地に建造された、通称 岬の教会「被昇天のサンタ・マリア教会」に掲げられた大時計だ。
ポルトガル船の入港と共にこの地に入ってきた南蛮文化の象徴のひとつ、当時の日本で最も大きく美しい教会「被昇天のサンタ・マリア教会」の大時計は、ローマ数字が使われ、鐘によって音楽が奏でられる、いわゆるからくり時計だった。当時、この教会には、キリシタンだけでなく大勢の見物人が集まったというから、時を知るというだけではなく、えも言われぬ文化の香りがしたものだっただろう。

日時計、水時計、砂時計のように、自然の力に基づく時計は古くから存在したが、このような機械時計は、ヨーロッパで1300年頃に登場した。初めて出現したのは、修道院。教会がいち早くこの時計に関心を寄せたのだという。つまり、修道僧達は一定の時刻に祈りを捧げ、一定の時間、労働にいそしむという規則正しい生活スタイルを行なっていたため、時間を計るものが必要だったわけだ。

先日、およそ130年前にド・ロ神父が母国フランスから取り寄せた柱時計が修復され、外海・出津文化村のド・ロ神父記念館内に設置された。高さ約2m50cm、時計の針に麻糸で鐘をつるし、その揺れで時刻を刻む重鐘動力式のこの時計は、約200年以上前、19世紀初頭に造られたものだという。救助院、その後修道院で時を告げてきたが、1968年に記念館に寄託されたときには針が止まっていた。約40年振りに動き出したこの時計は、15分ごとに可愛らしいチャイムを響かせる。その小さく優しい「キンコン」という鐘の音には、まるでド・ロ神父の“時間を大切にしなさい”という教えが込められているかのようだ。

それにしても15分ごとになるチャイムとは、珍しい。


修復されド・ロ神父記念館に設置されたド・ロ神父が取り寄せたフランス製の柱時計。

実は、イタリア、モンテ・カッシーノという岩山に6世紀中頃築かれた聖ベネディクト修道院の日課には、お祈りや読書、労働といった内容が15分、またはその倍数の単位できっちりと決められていたという。もちろん、当時は機械時計はないので、砂時計で15分1単位を計っていたそうだ。修道院の時計は、自己管理のための工夫。そして、この鐘を鳴らすことで、周辺の人々に祈りや働くことを訴えたのだ。

ド・ロ神父の時計が15分ごとにチャイムを奏でるのは、砂時計で計っていた時代の修道院の慣習に基づくものと考えて間違いないだろう。

ヨーロッパでは15〜16世紀にかけて市庁舎や公共広場に機械時計が設置されるようになったが、「被昇天のサンタ・マリア教会」に設置された大時計は、まさに、その時代のもの。ヨーロッパでも最新だったものが、この長崎の地にあったなんて、なんと最先端な町だったのだろう。

一方、長崎には、指定の時間に集まらない傾向にあることから「長崎時間」という言葉がある。いち早く、公の場所に設置され“時間の概念”を植え付けられた土地柄だというのに、なんともお恥ずかしい話だ。しかし、それを周囲も受け入れるおおらかな風習も誇らしい。言い訳だろうか?

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