海あり、山あり、歴史あり。ほんの少し足を伸ばしただけで様々な風情を楽しむことができる東長崎エリア。長崎街道沿いの歴史だけにとどまらず、未踏の地へも上陸! これまで知らなかった優しい風吹く東長崎エリアをご案内〜!

 

ズバリ!今回のテーマは
「歴史と安らぎを求めて!心和む場所は、こんな近くにあった!」なのだ。




ナガジン!では、以前、越中哲也先生に長崎街道をご案内いただき矢上エリアを歩いた。また、古くから植木の里として栄えてきた古賀の魅力を紹介したこともある。


長崎街道の魅力


古賀の魅力

今回のナガジン!では再び東長崎エリアを巡行。前回、紹介できなかった長崎街道・矢上宿周辺の見どころスポットにも目を向けつつ、ナガジン!未踏の地へも上陸してみた。
2004.6月ナガジン!特集『越中先生と行く長崎街道〜市内編〜』参照
2006.5月ナガジン!特集『“花と木と人”がきらめく植木の里・古賀へ』参照

東長崎という呼び名は、「長崎市の東部」という意味では特に違和感はないが、もともとこの呼称には西彼杵郡東長崎町という町名が前身としてあった。そして、この東長崎町も昭和30年(1955)、西彼杵郡矢上村、北高来郡戸石村、北高来郡古賀村という三つの町が合併したもので、その後昭和38年(1963)に長崎市に編入されたため、この呼び名だけが残り定着したというわけだ。

この東長崎エリア、かつての矢上村の入口で今も交差点に名を残すのが「東望」という地名。長崎と諌早の境界にある井樋ノ尾岳(標高407m)を源流とする八郎川河口右岸のこの地には、大正時代のはじめから賑わった遠浅で白砂青松を誇る長崎県有数の海水浴場、東望の浜があった。以前、越中先生も幼い頃、弁当持参で片道約10kmもの道のりを歩いて通ったとおっしゃっていた。海岸一帯には数えきれない程の桟敷が建ち並び、あふれかえる人々だったとも。残念ながら、海の汚染が進んだこともあって、昭和40年(1965)に廃止。砂浜は埋め立てられ昭和50年(1975)には、長崎の台所、中央卸売市場が建てられたのだが……。今では海水浴場の桟敷跡は、ほぼ跡形なし。しかし、長崎で育ったある年代までの人々の心の中には、必ずといっていいほど「東望の浜」の美しい風景があることだろう。


東望入口の交差点


かき道から望む東望の浜跡

東望といえば、もうひとつ、歴史を記憶する場所が残っている。長崎市指定史跡の東望山砲台跡だ。

この砲台が設けられたのは、今から約150年前の慶応2年(1866)。ロシア船来航、フェートン号事件などを受け、幕府は沿岸警備の強化を諸藩に命じたため、諌早家(佐嘉藩)が、領内の東望・牧島・かき道の3ヵ所に砲台を築いたのだ。

東望山砲台跡
矢上小学校の生徒さんに 案内してもらい、無事到着!

東望山砲台跡には直径3.6mの円形台座か遣っている。この形は、とても珍しいものだとか。東望道には陣屋が6棟あり、約1筒につき600人が配備されていたというから、その警備はかなり大規模なものだった。明治2年、この砲台は廃止となり、砲は島原の人に払い下げられ鍋釜に鋳潰されたそうだ。

砲台跡近くには東望山公園のほか、辺りを見回すと随所に「東望」という名の店看板が目につく。この名に対する地元の方々の愛着ぶりが、今も変わらず息づいていることが伝わってくる。

さて、東望山同様に砲台が設けられたというかき道と牧島へも足を伸ばしてみよう。

先程、東望の浜跡を望んだかき道は、橘湾へ注ぐ八郎川の河口。矢上大橋を渡る際、左側に見えるエリアだ。橘小学校や橘中学校を中心に、今や公営住宅がびっしり建ち並ぶ住宅街のイメージがあるかき道だが、海沿いには昔ながらの風景も残されている。


かき道漁港風景

漁業の神様である恵比寿様が道端にひょっこり座っていたり、雨乞いの神である八大龍王を祀った八大龍王神社が公園と一体化していたり。小さな漁師町のなんともいえず味わい深い風情が漂っている。


かき道の恵比寿様


かき道の八大龍王神社

かき道を過ぎると戸石エリア。かき道同様、海沿いを除いては新興住宅街のイメージ。また、最近では東京ドーム約4個分にあたる56,000坪の緑豊かな「
長崎東公園」が人気を集めている。公園とはいっても、ここは浴室を備えた体育館や室内温水プール、ナイター完備の運動場やテニスコート、ちびっこ広場などを完備したコミュニティ施設。幅広い年代に利用され支持される憩いの空間、一度足を運んでみよう。
長崎東公園 http://www.nagasaki-eastpark.jp/


長崎東公園コミュニティ体育館

さて、以前ナガジン!でも紹介した通り、養殖フグの生産高全国一位を誇る長崎県の一翼を担っているのが、戸石漁港のトラフグ養殖業。その他、約150隻の底引網漁船が水揚げした新鮮魚は、すり身などの加工品や、地元で採れた野菜などと販売される戸石フレッシュ朝市は、おすすめスポット。もちろん、朝早い方が新鮮かつお得な品に出会える。
戸石フレッシュ朝市/7〜13時(火曜休)
2002.5月ナガジン!特集『長崎おさかな天国』参照


戸石フレッシュ朝市

戸石漁港にも、かつて海中にあったという戸石神社の鳥居が海に向かって建っている。かつて戸石神社にある御神木が光り、遭難しかけた船の目印になったといういい伝えも残っている。この鳥居は、今も変わらず漁師さん達の安全と大漁を見守るかのような佇まいだ。


戸石神社の鳥居

戸石から牧戸橋を渡り、かつては島であった牧島へ。周囲12km、海岸線が入り組んだ風光名媚なこの島は、かつては無人だったが、江戸時代諫早潘が馬の放牧をはじめたことにより、馬番として11、2戸の世帯が住むようになったという。島の名の由来もそこからきているのだ。

今では、ちくわやかまぼこ、ペーロンなどで知られる牧島だが、この地に曲崎古墳群という古墳群があるのをご存知だろうか? この古墳群は、6世紀末から7世紀初めのもので、昭和52年の調査で、99基の積石塚と性格不明の遺構約500ヶ所が確認。また、ガラス製の玉類や当時の人々が使用した壺なども発見されている。一般的な古墳というのは遺体を入れる室を石で築き、その上に土を盛りあげているものだが、曲崎のものは丸い石ころを積みあげているところに特徴があり積石塚と呼ばれる。また、石室構造は竪穴系横口式石室で北部九州に分布する古墳群と同様のため、この地域が北部九州の文化圏に属していたことが判明したのだという。足を踏み入れると一種独特の雰囲気。ぜひ、体感してみよう。

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