周囲には樹木が覆い茂るこの静かな山里にこの教会が建てられたのは、明治28年(1895)。創建当時は木造だったが、昭和27年(1952)に再建され、幾度かの修復が行われ今に至っている。この地に教会が建てられた背景には、隠れキリシタンの存在があった。隠れキリシタンの甚介の子ども、佐八など6家族が旅芸人を装いながら西彼杵郡三重郷樫山からこの地を訪れ、ここを隠れ家として信仰を貫いた。彼らがこの地に移り住んだのが文化元年(1804)のこと。計算すると、聖堂が建てられるまで、実に90年もの時間が流れている。この聖堂そのものが、この地で受け継がれてきた信仰の証。
もともと「善長谷」という地名の由来は深堀の菩提寺6代当主、賢外普問和尚がこの地を厳しい坐禅の修行の場とし、ここで悟りの境地に至ったことから「禅定谷」となり、それが転訛したという説があるが、スペイン語で異教徒のことを「ゼンチョ」と発音することから、これが語源になったともいわれている。
善長谷教会の信徒達は、明治維新後に信仰の自由が許されると宣教師の呼びかけに従い、カトリックの教会に復帰する人もいたが、潜伏したままで西彼三和町岳路へ分れて移り住んだ方々もいたという。今でも教会の周辺には教会の周辺には現在もその子孫が残り、全員がカトリック信者となってその意志を受け継いでいる。 |