カトリック信者の巡礼地と知られる南フランス、ピレネー山脈の山麓にあるルルド。このルルドの洞窟で起った奇跡にちなんだ場所が、日本にも長崎を中心に点在している。今回はこのルルドの奇跡とともに、長崎市内にある巡礼地・ルルドを紹介。


ズバリ!今回のテーマは

「長崎の祖先が残したもうひとつのキリスト教遺産を巡る!」 なのだ




世界中に再現された巡礼地
ルルドで起きた奇跡とは?

本来ルルドとは、南フランスの町の名前。1858年(安政5)、ピレネー山脈の山麓にあるルルドのマッサビエルの洞窟で、羊飼いの少女・ベルナデッタの前に聖母マリアが現れ、マリア様のお告げどおりに、足元の土を掘ると洞窟前に清水が湧き出し、この霊泉で難病が治るなどという奇跡が起こった。この奇跡にあやかりその後世界各地でこのルルドを模倣し、聖母マリア像を収めた“ルルド”が造られるようになったのだ。つまり、本場のルルドは地名だが、日本では “奇跡の泉”や巡礼地の意を込めた固有名詞として使用されている。

そんなルルドに設置された聖母マリア像には例外もあるが、ある共通点がある。ベルナデッタの前に現れた聖母マリアが、〈私は汚れなき孕(やど)りです〉といわれたことから、その時の聖母の姿、白いベールと服、そして青い帯の姿が〈無原罪の聖母〉として定着したのだ。


ベルナデッタ


聖母マリア像

日本ではじめてルルドが造られたのはやはり長崎。五島列島、福江島の西の端にある井持浦教会のルルドだ。この教会は明治28年(1895)に、フランス人宣教師ペルー神父によって建てられた創建当初は五島初のロマネスク様式だった聖堂。そのペルー神父がこの井持浦教会にルルドの泉を模した洞窟を造ることを考えついたという。五島全域の信徒が島内の奇岩珍岩を持ち寄って洞窟を造り、その側に井戸を掘り当て明治32年(1899)に建設。聖母像は本場ルルドから求め、さらに本場の南フランスの奇跡の泉から霊水を取り寄せて、洞窟横の泉水に注いだ。今も全国からの巡礼者は後を絶たず、ルルド参詣者のために宿泊施設が設けられている程だ。

この井持浦教会のほかにもユネスコに提出する世界遺産登録の暫定リストに名を連ねる平戸市の田平天主堂など、やはり特異なキリスト教史を持つ長崎県内には多くのルルドが存在する。そして、それは長崎市内にも!


田平天主堂のルルド

今年の2月11日、1858年(安政5)、南フランスのルルドに聖母マリアが出現してから150周年を迎えた。そのためカトリック系のキリスト教信徒の間では、昨年の12月8日(無原罪の聖母マリアの祝日)から今年12月8日の1年間、ルルドの聖母150周年記念年と位置づけられている。

そこで今回のナガジン!では、長崎の類い稀なキリスト教史に裏打ちされたもうひとつのキリスト教遺産! 聖母マリアと少女・ベルナデッタの奇跡の物語が再現された市内に点在する神聖な巡礼地を紹介しよう。


 
コルベ神父が実現した
本河内教会のルルド


本河内教会のルルド

長崎に深い関わりを持つ聖マキシミリアノ・コルベ神父も、我が国初の殉教者・日本二十六聖人と同じく、昭和57年(1982)、前ローマ教皇・ヨハネ・パウロ二世によって聖人の位に列聖された一人。聖フランシスコ修道会に入会後、ローマのグレゴリアン大学に入り、24歳で司祭に叙階されたコルベ神父は、母国・ポーランドで聖母の騎士心信会の活動を始め、昭和5年(1930)に来日。長崎において布教活動を行った。

そして7年後に母国に帰国したコルベ神父は、アウシュビッツ強制収容所で死刑を宣告された家族の、ある一人の父親の身代わりとなり殉教。この神父の身代わりの愛の精神は、世界各国、多くの人々に崇められる存在となったのだ。

コルベ神父が長崎滞在中に成した偉業は数知れない。来崎の翌年には、長崎市街地を取り囲む山の一つ、彦山中腹の斜面に、昭和6年(1931)、コンベンツアル聖フランシスコ会聖母の騎士修道院(無原罪の園)を創設、5年後に修道院内に現在の聖母の騎士学園の前身である「本河内神学校」を開校した。今現在も発行が続いている月刊誌「聖母の騎士」を創刊させ、日本国民にキリストの福音と聖母マリアの愛を伝えるための出版による布教を活発に行った。修道院を建てる際に、山の方がいいと、コルベ神父自らの希望でこの地を求めたのだとか。現在、境内にはコルベ記念館、幼稚園、中学、高校があり、この敷地の一番高い場所に本河内教会のルルドがある。

神父は、日本へ向かう途中に、フランスのルルドを訪れたのだそうだ。そして、長崎の地にもこのようなルルドを造りたいと考え、豊かな自然に抱かれた眺望も素晴らしい彦山に実現させたのだった。

本河内教会から急な坂道を200m程登る。静寂に包まれた境内の細い坂道の両側は美しい木々に覆われ、案内板がその地へと誘ってくれる。



本河内教会


案内板
山を切り開いた地に現れた聖母マリア像。やはり腰には水色の帯が巻かれている。憂いを秘めた表情が印象的だ。

本河内ルルドの聖母マリア像

本場フランスのルルドがマッサビエルの洞窟を利用しているように、こちらも彦山の崖をそのまま利用。聖母マリア像の足元から涌き出ている清水は、数多くの奇蹟があったとしてバチカンからも公式に“奇跡の泉”として認定され、偶然か必然か、ある大学で調査したところフランスのルルドの水の成分とほとんど同じであるということが分かったという。この奇跡の水は、コルベ神父を診察した永井隆博士も原爆で受けた傷を癒すために患部につけ、治療したそうだ。


奇跡の泉

永井隆博士の診察の結果、コルベ神父は結核と診断された病の身だった。長崎にいる頃から自らも病苦の中に身を置きながら、のちに他者の身代わりとなったコルベ神父。本河内教会のルルドは、聖母マリアの奇跡とコルベ神父の愛に触れるべく毎年多くの巡礼者が足を運ぶ巡礼地となっている。(毎年5月の最終日曜日はルルド祭)


●長崎駅前からのアクセス

路面電車/長崎駅前電停から蛍茶屋行きに乗車し、終点下車、徒歩15分。
バス/長崎駅前東口バス停から県営バス網場・諫早東厚生町・矢上団地行きに乗車し、番所バス停で下車、徒歩2分。
車/長崎駅前から約15分。

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