■現在の石橋群 平成の世に昭和の石橋。いつの時代もこの橋たちは、人と人、時代と時代をつなぐ架け橋となってきた。
■中島川の古町橋と光永寺 江戸時代から3度の水害に遭い流出と再建をくり返してきた古町橋と光永寺。/長崎大学附属図書館蔵。
■現在の古町橋と光永寺 光永寺と石橋の風景には、今も江戸時代の情緒が感じられる。
エゴとは大きな溝のことで、バタは端。居留地界隈で見かける三角溝(オランダ側溝)と同じ仕組みのもので、長崎には今もこのテの溝がいくつも点在している。写真は寺町通りと平行に流れる古川町の鹿屠川(ししとき川)。現在は石畳がアスファルトになったものの、道幅が変わらないからか今もなかなかの風情。
明治20年代に建てられた、中国との貿易品を保管していた赤レンガ倉庫群。戦後はデパートやマーケットの倉庫、飲食店として利用されていたが、昭和50年代に解体された。通称“十軒蔵”と呼ばれていたこの場所は、現在の銅座観光通り。現在もおいしい長崎中華が味わえる“喜楽園”の看板を左手前に見つけた!
現在の新地の通り
〈3/3頁〉 【最初の頁へ】 【前の頁へ】