■戦後の長崎駅 長崎名物!駅前の高架広場は、路面電車の電停やバス停への重量な通路でもある。
そして、時代は変わりミレニアムで世間が賑わった2000年。惜しまれつつ姿を消した三角屋根に変わって、駅と一体化したショッピング・アミューズメント施設“アミュプラザ長崎”が誕生! 列車の利用客以外の人々も利用するエンターテイメント空間として新たなスタートをきった。そんなこんなの最西端の終着点、長崎駅。現在の長崎駅は、創設から随分と様変わりしたものだが、この駅にも長崎の歩んできた歴史や人々の思い出など、たくさんの長崎物語がつまっているのだ。
■現在の長崎駅 近代的に変貌した長崎駅だが、車道の幅、路面電車の石畳、おおまかな印象は変わらないような気もする……。
路面電車のまるっこいフォルムが時代を物語っている。浜屋と岡政(現在の大丸)をのぞいては高いビルはなく、低い家並みの商店街のため後方の山並みがきれいに見える。現在と比べると……屋根もない丸裸の電停の位置も違った!
かつて京都の島原や江戸の吉原と共に日本三大花街として栄えた丸山。ここは市街地南端の傾斜地のため、人々は花街である丸山町と寄合町を合わせて“丸山”と呼び、その入口を“山の口”と呼んでいた。丸山遊郭が320年の歴史に幕を下ろす前年に撮影されたこの写真に写るはネオンに彩られた大門。今見るとまるで幻のよう。こんな時代があったんだ!
現在の山の口
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