長崎街道沿いにあたる豊かな自然に包まれた古賀エリア。この地における植木栽培の歴史はとても古く、なんと元禄時代から約400年! 幕末には長崎の貿易商によってオランダ船や唐船に乗せ輸出もされていた。そんな知られざる歴史や古賀植木の魅力を調査!
一 燃ゆる緑木 真紅の花と 植木育てて 名が高い
二 山の紅葉が ちらほらすれば 黄金玉なす 古賀温州
三 名所の里と 訪る人の 松茸土産に 笑の顔
四 ひろくとどいて 外国人も 抱いて可愛いや 古賀人形
五 村の城山 暮れそむ頃に 平和の鐘つく 福瑞寺
(作詩・振付 古賀女子青年団/作曲 諫高女校・早田茂)
天正のころ(1570年ころ)になると、島原藩有馬氏の所領となり、古賀村から神社仏閣が消え、天主堂とキリスト教伝道所がそびえ立った。これまであった寺院が焼き払われ一村こぞってキリシタンになったというのだ。キリシタン禁教時代にこの地に潜伏したイエズス会のマタ神父が記した書簡によると、当時、古賀の町は、島原藩有馬領に属する一城のある場所で、天正16年(1588)、城主は家族全員と共に信仰に入りつつあったという。また、当時の古賀の地はとても涼しく、多くの川や泉や涼気に恵まれ、その川の一つは滝となって絶壁から落下し、見事な景観だったそうだ。
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