8月9日の悲惨な現状を今に伝える
被爆遺構、施設を訪れてみよう

●原爆落下中心地と浦上天主堂遺壁(マップB)

アメリカのB29から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂。現在、この落下中心地には黒御影石の碑が立てられている。近くには被爆当時の地層が残されているが、そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガ、約3000度といわれる熱によって焼けたガラスなどが現在でも大量に埋没しているという。また、一隅には原爆によってわずかな堂壁を残しただけで崩れ落ちた浦上天主堂、南側遺壁の一部も移築されている。周囲には約500本の桜の木が植えられ、緑に囲まれた憩い空間となっている。




●長崎原爆資料館(マップC)


被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過、被爆から現在までの長崎の復興の様子、核兵器開発の歴史、そして核兵器のない平和希求までをストーリーを持たせ、わかりやすく展示する資料館。爆心地から約500mに位置する浦上天主堂は原爆によってほとんどが倒壊、焼失した。館内の展示ゲートにはこの浦上天主堂の聖堂の南側残骸の一部を再現した側壁を再現。熱線と炎で黒く変色した聖像、爆風でずれた石柱。当時の惨状が視覚的衝撃として迫ってくる。11時2分でとまった壊れた時計、熱線で焼けただれた瓦や溶けたガラス、被爆の惨状を伝える数々の写真などが、原爆の恐ろしさを見せつける。また、原爆直後と現在の長崎の風景写真を比較すると、その目覚ましい勢いで復興した長崎の街、人々の逞しさが伝わってくるだろう。「原爆、戦争なんて遠い昔のこと」とはいえない今の世界状況の中、ぜひ足を運び「悲惨な歴史」を受け止め真の平和について改めて考えさせられる。





●入館料…200円/開館…8:30〜17:30(5〜8月は〜18:30※8月7〜9日は〜20:00)/休館…12月29日〜31日
問合せ…長崎原爆資料館 TEL095(844)1231


●国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館(マップD)

平成15年7月に開館。原爆で亡くなられた方々を追悼し、被爆者の苦しみを後世に伝え平和を祈る長崎の新しいシンボル。原爆の死没者名簿を奉安し、死没者の氏名や遺影を公開、原爆で亡くなられた全ての方々への追悼と、平和を祈る空間があるほか、手記・体験記を収集・公開している。また、被爆医療や平和を中心とした国際協力・交流に関する情報提供も行っている。原爆死没者の方々が求めた水をたたえる水盤が施され、日没後約1時間は、亡くなられた方々の命の尊さを示す約7万個の光が水面いっぱいに灯される。


●入館料…無料/開館…8:30〜17:30(5〜8月は〜18:30※8月7〜9日は〜20:00)/休館…12月29日〜31日
問合せ…国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館  TEL095(814)0055


●山王神社(一本柱鳥居/被爆クス)(マップE)

爆心地から南東約800mの場所にある山王神社の二の鳥居。社殿は跡形もなく崩れたが、この鳥居だけは片方の柱を残し今も同じ場所に立っている。それは原子爆弾の驚異がヒシヒシと伝わる貴重な資料。崩壊した鳥居の片方の柱などの残骸が、この鳥居の奥に置かれている。そしてこの山王神社の境内には原爆によって被害を受けた被爆クスノキがある。このクスノキ、幹の周囲が8m50cmもある長崎の巨樹のひとつだが、原爆によって幹が焼かれ葉も燃え尽きた。上部の枝は折れ、一時は全く落葉して生存もあやぶまれていたのだけれど、再び芽吹き、幹に大きな傷を残しながら今でも元気に栄えているという。幹には祈りを込めて折り鶴が供えられている。




●長崎医科大学正門門柱(マップF)

爆心地から東約600mの位置にあった長崎医科大学(現長崎大学医学部)では、原爆によって892名余りの人が亡くなっている。永井隆博士もここで被爆した。その爆風の凄まじさを物語る傾いた正門門柱跡が、今も当時の場所に残されている。





●浦上天主堂(マップG)
境内に残る旧浦上天主堂の原爆遺構

浦上天主堂境内には被災した旧天主堂の遺構が数多く点在している。天主堂向かって左の下に流れている川横には、爆風で吹き飛ばされた双塔(左側の鐘楼)の残骸が見られる。50トンもある鐘楼を動かすこともできず、当時の川を塞いだため、川を移動したのだという。現在も落ちたそのままの場所に残されている。
この左側の鐘楼につるされていたアンジェラスの鐘は、現在、境内にある典礼センター・ピエタ内に保管展示されている。(平日10:00〜12:00、13:30〜17:00/日曜10:00〜12:00/木曜休館)




また、境内には熱線で黒く焼け焦げ鼻や頭部を欠いた聖人の石像、また外壁や石垣には天使の像や破壊を免れた像が飾られているが、天主堂の外観正面の入口にも原爆遺構である「悲しみの聖母」「使徒聖ヨハネ」像を掲げている。これは旧浦上天主堂を設計したフレノ神父が自ら彫刻したもので、中央の「十字架のキリスト」像は原爆で破損したため複製したもの。旧天主堂の面影を残している部分だ。



●開館…9:00〜17:00/入堂料…無料/休館…月曜日
問合せ…浦上天主堂 TEL095(844)1777


●如己堂・永井隆記念館(マップH)


永井隆博士は原爆によって愛妻を亡くし、自分もまた被爆による白血病と戦いながら死の直前まで原子病の研究に取り組み、世界に向けて平和を訴え続けた人物。如己堂とは、永井博士が生前2人の子どもと共に住んでいた2畳一間の家のことだ。多数の著書を残し昭和26年に永眠。敬虔なクリスチャンだった博士は、『聖書』の「己の如く隣人を愛せよ」という言葉から『如己堂』と名付けた。隣接する平成12年に開館した記念館には博士の遺品、書画などのほか関係写真などが展示されている。年間を通し全国から15万人以上の来場者が訪れるが、なかでもピーク時には修学旅行生が1日で45,000人を越えることもある程で、全国の学生の平和学習の場となっている。


●入館料…大人のみ100円/開館…9:00〜17:00/休館…12月29日〜1月3日
問合せ…永井隆記念館 TEL095(844)3496


●山里小学校(マップI)

城山小学校同様、原爆により多大な被害を受けた山里小学校においても、定着した平和教育が行われていて、学年によってテーマ、スポットを定め、“事実の理解”“事実に対して自分の考えを持つ”“自分の考え、思い、願いを表明する”“平和を求める心を、自らの生活に表す”“奉仕活動”といった学習ステップを踏んでいる。また、永井隆博士作詞、木野普見雄作曲の『あの子』という独自の歌を持ち、毎年8月9日に行われる原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の際には城山小学校と1年毎にその澄んだ歌声を聴かせてくれる。

校内の崖には当時18もの壕が掘られ、学校や付近に住む人々の避難場所となっていた。その中の6つが今も残されている。原爆投下当日にも新しい防空壕を掘る作業をしていた多くの先生方がこの崖に叩き付けられ、亡くなったのだという。また、放射線を浴びて負傷した教職員や児童、付近の人々が防空壕へ避難したが、多くの人々がこの中で亡くなったのだとか。
※見学する際は、事前に問い合わせが必要。


問合せ…山里小学校 TEL095(844)0785

●平和公園(マップJ)



世界平和の願いを込めて作られた高さ9.7メートルの平和祈念像がある平和公園。
ここは、当時長崎刑務所浦上刑務支所だった場所で、刑務所の周囲にめぐらされていた壁の一部が残されている。
また園内には、水を求めてさまよった少女の手記が刻まれた“平和の泉”や、世界各国から贈られた平和を象徴するモニュメントが立ち並び、世界平和のシンボルゾーンを形成している。



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