当時の城山国民学校関係者では、家庭にいた児童1400余名、学校におられた先生方28名、庁務員3名、三菱兵器製作所員58名、挺身隊員12名、学徒報国隊員42名が原爆によって命を落としたのだという。そして、生き残ったのはわずかに先生3名、家庭にいた50余名ほか三菱兵器製作所員9名、挺身隊員2名、学徒報国隊員4名のみ。
前波校長「当時教頭をされていた荒川秀男先生は、校長室で会議中に被爆されたのですが奇跡的に助かられました。生き残った子ども達を集めて授業を再開したり、慰霊祭を開いたりされたそうです。荒川先生が戦後、校長として城山小に戻り、現在の城山小に根付いている平和教育の基礎を築かれたんです。」
被爆直後の惨状に使命感を奮い立たせて行われたのだろう。それは惨劇を生き抜いてこられた荒川先生だったからこそできた平和教育だったに違いない。
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