城山小学校内に点在する
被爆遺構と祈念碑(マップA)

●嘉代子桜
原爆落下時、城山小の校舎で亡くなった林嘉代子さんのお母さんである林津恵さんから、昭和24年、娘が好きだった桜の木が寄贈され、大きくなったもの。ここは子ども達にとって格好の遊び場となっている。祈念碑は昭和41年に建立された。

 

●平和モニュメント
「三つの願い」と題されたこのモニュメントは、平成7年、被爆50周年の節目の年に、平和の誓いを新たにするために建立されたもの。象られた三つの輪には、“大きな希望”“広い心”“ 深い愛”という三つの願いが込められ、その下の葉は平和を支える全人類の手を表わし、緑の自然を永久に残すという意味がこめられている。

●平和の鐘
嘉代子桜を寄贈された林津恵さんが亡くなられた後の遺産より資金をいただき作られた鐘。上から見ると桜の花に見えるように設計されていて、毎日8時、12時、16時に鐘の音で曲を奏で、毎月演奏される曲目が変わる。

●荒川平和桜
城山国民学校で被爆し、奇跡的に助かった当時教頭をされていた荒川秀男先生。平和を願う教育の基礎を築かれた荒川先生の御遺族から平成5年に寄贈された桜は、“荒川平和桜”と命名された。

●少年平和像
戦争、原爆で全てを失った城山国民学校の児童が平和を希求して立ち上がる姿を象ったこの銅像は、当時5年生で父母を原爆で亡くした少年をモデルに昭和26年8月8日に建立された。台座の「平和」の文字は、1年生の時に被爆した当時6年生だった菅原耐子さんの書で、家族をまつってある仏壇の前で練習して書いたものだという。

●永井坂
永井隆博士の『この子を残して』の印税から基金をいただいて植樹した桜の木があることから命名された坂。昭和24年に2月に寄贈された桜は、毎年春に美しい花を咲かせ、美しい花のトンネルを作り出す。

●城山小平和祈念館(被爆校舎)
被爆後も教室として使用していた被爆校舎を平成59年の新校舎建設にあたり一部を被爆遺構として残し、児童の発案により平成11年2月に改装。軍のカメラマンであった林重男氏が撮影した被爆直後の写真をはじめ、被爆時の遺物や当時の校舎の模型などを展示する城山小平和祈念館が誕生した。
現在の城山小の平和のシンボルだ。
※見学する際は、事前に問い合わせが必要。




●被爆のクスノキ
城山小には原爆の被害を受けながらも今も新芽を芽吹かせるクスノキが2本残っている。原爆の熱風で根元から吹きちぎられていたクスノキ。また、1本の大きな木が被爆で燃えた跡に新芽が出て、2本になったクスノキ。その姿は、戦後を生き抜いた人々と同様、生命力に溢れている。

●原爆の殉難者の碑
原爆で殉難された方々の冥福を祈り平和を祈念するために作られた碑。原爆殉難者名奉納庫が設けてあり、殉難者名簿が奉納してある。周囲の赤レンガは防空壕入口付近に作られた供養塚。

●原爆のカラスザンショウの木
被爆しながらも生き残り、現在に至るカラスザンショウの木。現在は周囲のムクの木々に支えられ、その姿を維持している。

●平和坂
被爆する以前からあった坂道。現在も通学路として子ども達に親しまれている。この坂にある桜の木も永井隆博士から寄贈されたもので、永井坂に対して昭和50年代に平和坂と命名された。

●十五の桜
第17回卒業生(昭和15年度卒業)の方々が70歳の古希のお祝いと、昔の桜を復元したいという思いで平成9年10月に植樹された。


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