●賑やかさの裏に潜む悲しみ……精霊流し


長崎の盆風景の象徴とも呼べる精霊流しもやはり、中国の風習が定着していったものだ。ルーツは唐人屋敷で行われていた「彩舟流し」と言われている。屋敷内で死亡した唐人の位牌を収める幽霊堂というお堂で、幽霊が出ることが重なり、その霊を祀るために一年に一度行われていたのだという。
様々な変遷を経てきた現代の精霊流しは、盆の前に亡くなった人の家族や町内の人々が故人の霊を弔うために手作りの船を街中を通って海へ流すというもの。その際の花火=爆竹のけたたましい音は観光客には驚き以外の何ものでもないだろう。

中国花火
を多く取り扱う新地中華街側にある老舗の花火店・錦昌号のご主人に長崎の花火事情について伺った。
「長崎は九州で唯一、花火工場がない町なんですよ。土地が狭く工場を設置するのが危険だということもありますし、この地形からも打ち上げ花火が定着しなかったんですね。しかし長崎での花火の消費量には実績がありますから、長崎での売れ筋や要望など、影響力があって例年、業者から意見を求められます。現在のような精霊流しがはじまったのは1600年代の中頃だと言われていますが、爆竹はその頃、中国から輸入していたんじゃないでしょうか? 爆竹が庶民の手に入るようになったのは江戸初期だと思われます。墓で花火をする習慣も精霊流しがはじまって以降ですよ。不思議なことに、墓所を広くとるのは中国福建省がそうですし、墓が集う場所であり食事をする習慣があるというのは中国の一部で今もあることなんですが、花火をする習慣は残っていないんですよ。墓では爆竹より、やび矢などが多いですよね」





8月に入るとあちこちで車道の脇に作りかけの精霊船を見かけるようになる。故人の趣味趣向をふんだんに盛り込んだ特徴的な船が親族縁者の手によって少しずつ作られていくのだ。
昔は葬儀の際、今のような生花ではなく造花の花輪を贈り、翌年精霊船につけるようにそれを大切にとっておいたのだとか。
松尾住職「精霊船を造れないおばあさんなどは、作り手におにぎりを握る。みんなそれぞれできることに手を貸すんですよね。担ぎ手に親類の友達までも借り出す……故人を知らない人縁のない人も含め多くの人が関わり、送る風習が素晴らしいんです」


一見、爆竹を鳴り響かせ、ハデなお祭り騒ぎのような精霊流しだが、その爆竹は故人を思う気持ちの現れだということがわかった。大波止の最終地点では船から遺影をはずし、悲しみにくれている家族の光景を目にする。

堤住職「悲しみ、故人への思いは、町中ではみられませんから、観光の方には誤解を招くかもしれませんよね」
松尾住職「初盆を迎え、船をみんなで手を貸して作り、見送り、悲しみと訣別をする。賑やかさの裏にある、それが精霊流し本来の心ですよね」


8月に入ると、日が暮れる頃ごく少量の爆竹の音がパンッ……パンッと鳴り響く日がある。
おそらくは夏休みに入った子どもたちが花火を仕入れ、お盆を待切れずに“少しだけ”試しているのだろう。
この少量の爆竹のパンッという音に夏を感じる……長崎にはそんな人も多いことだろう。
長崎を故郷とする他県に住む人々が帰省するのは、正月よりお盆が多いといわれる。
これは憶測だが、その理由のひとつはもちろん先祖を大切にしている人が多いということ。
そしてもうひとつはきっと、正月よりお盆の方がより“長崎”を感じられるからではないだろうか? 
そんな長崎的盆風景、ぜひ一度体感してみてください。


取材協力/錦昌号 TEL095-822-1935 

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