●お盆限定!長崎提灯夜景


堤住職
「お盆の期間だけですが、まず夜に墓に参るという習慣は長崎だけですよね」
以前は墓前で宴会も行われていたという話もある。
松尾住職「昔は緋毛氈(ひもうせん)とお重抱えて行ってたらしいですよ」
なかには芸者を呼んで三味線を弾き、拳を打ってハデに騒ぎ立てるひとも多く、遂には隣の墓の人たちとも混じってちょうど花見のようになったりすることもあったのだという。しかしこの習慣は明治に入りコレラが流行し、衛生的見地から禁止されるようになったのだとか。
しかし、酒宴は行われなくなってもお盆の墓所は長崎の人にとっては親戚縁者、集いの場に変わりはない。現在は初盆の家は13〜16日、通常は14・15日、木組みの提灯かけに家紋の入った提灯に火を灯し、その火が消えるまで普段なかなか顔を合わせることが少なくなった親戚が故人の話や近況を語り合う。その脇で子ども達が花火を楽しむという光景が見られるのだ。
松尾住職「昔は初盆の家にはその家の家紋入り提灯を送る風習がありましたが、現代では主に『燈籠料』としてお金を包むようになっているようです」
精霊流しが行われる15日は、精霊流しを見物するために、早めに墓へ向かう家も多いようだ。

松尾住職「墓の建て方にも特徴がありますよ。まず墓は猫足ですよね。そして非常に広い。とても先祖を大切にしている証しですよね」
確かに多くの墓は塀で囲まれ、門がある。なかには腰掛けるためのベンチが完備されている墓もあり、大勢で長居するための工夫がなされている。
堤住職「墓石に象られている文字が金だというのも長崎だけみたいですね」
そう言われれば、多くの「○○家先祖代々之墓」や「南無阿弥陀仏」などの文字が金になっている。
松尾住職「これは金をもやす中国盆(中国盂蘭盆会)の風習に由来しているようです」









そして長崎市内にある墓の最大の特徴として他県に類を見ないものがある。それは多くの墓石の横に「土神(どじん)様」(長崎の人は「つちがみさま」と呼んでいます)が祀られていること。
松尾住職「土地を神様から借りているから、土地の神を祀る。旧唐人屋敷内ある館内地区には土神堂がありますよね。同じ意味合いを持っているといえます」


堤住職
「初盆の家が使う線香、竹線香も長崎特有のものですね」
この竹線香、孔子廟の祭壇にもあげてあり、ここにも中国の影響を発見!
松尾住職「それと、長崎には本檀家墓檀家というのがあって、寺院内に墓所が建てられない場合、他の寺院の墓地に墓を建てるということが多くあります。だから同じ墓地内で違う宗派の墓が隣り合わせということも多いんですよ」

また、長崎にはお盆のシーズンのみに出回る盆花(正式名称は千日紅/せんにちこう)と呼ばれる花がある。
松尾住職「枝がしんなりしているから他県の方から「花が枯れていますよ」ってよく言われますけどね(笑)。赤紫の丸い花をつけるこの盆花も長崎ならではの、しかもお盆の時期だけに出回る花ですよね。一説には花の形が人魂に似ているからお盆に飾られるようになったとも言われています」
堤住職「長崎はお盆の時期に限らず花が売れる地域だと聞いたことがありますよ。墓参りも、仏壇に花を飾ることもまめにされているんですね」
松尾住職「長崎のお年寄りはだから元気なんですよ。高台にある墓所への坂を頻繁に昇り降りしているでしょ? 何がなんでも御先祖様を守らなければという気持ちがありますよね」
堤住職「長崎の方は本当に信仰心が強いと思いますね」


ちょっとブレイク!
長崎に根付く中国文化
中国盂蘭盆会(旧暦7月26日〜28日)
 死者の霊を慰めるため、在留する中国人によって毎年崇福寺で行われている盆行事。毎年中国の旧暦で行なわれるため日程は定まらないが、今年は8月23日〜25日の3日間。第1日は僧侶によりお経をあげ、釈迦、その他尊者の霊を慰め、第2日は同じくお経をあげ亡者や霊を呼ぶ。第3日は全世界の霊に対し供物をあげ、迷い出た人に悪戯をしないよう金銀貨や着物等を意味する金山、銀山、衣山などを燃やして米饅頭を天に向けて投げ霊を送る。いくつもの赤いランタン(提灯)が灯され、唐人鉄砲や太鼓が鳴り響く日本とはひと味違う中国のお盆。3日間のうち、最終日の午後4時までは精進料理が、5時からは豚の頭の丸焼き、魚、貝類などの生くさが供えられる。中国獅子舞なども観られるが、あくまでも儀式だということをお忘れなく。



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