3.福屋跡〔ふくやあと〕〜丸山オランダ坂〔まるやまおらんだざか〕)
●花街時代の趣き色濃く残る小路●
この迷路の入口横に高いりっぱな石垣の上に建てられたアパートがあるが、この場所は日本最初の西洋料理店「福屋」跡にあたる。
西洋料理はオランダ人が出島に来てから伝授されたといわれている。
当時蘭館では毎年正月には大パーティが催され、長崎奉行所の役員たちは毎年招待を受けご馳走になっていたのだとか。
これが次第に庶民に広がり西洋料理が一般に普及。
しかし、西洋料理店での食事となると、かなり高価なものだったようだ。
中の茶屋前の坂段が入口で、このアパートの奥にある公園までの敷地が福屋のスペースだった。
現在は住居になっているので、アパートの敷地内にはくれぐれも入らないようにしたい。
さて、梅園身代り天満宮の方へ戻り、今度は来た道と別のもう一方の道を下ってみよう。
レトロな駄菓子屋、今は民家として利用されている昔寺院だったという建物を発見した。
山口さん
「この界隈には一見わかりずらいですが、三階建ての遊廓当時の建物が数棟残っているんですよ。」
今も芸者さんたちが住んでおられるそうだ。
遊廓の名残りを見せる屋号が建物に残っているのを見つけた。
こんな細工、今でもあったらかわいいのに。
山口さん
「その蔵の2階に愛八さんが住んでいたという記録が近頃でてきたようです。」
この付近にも昔ながらの手法によって建てられた古い家屋が多く見られる。
山口さん
「出島の復元された棟にもみられる『もちおくり』や、雨よけとして工夫された尾垂れなどが特徴的です。」
山口さん
「電車通りからすぐの坂段が本来の丸山オランダ坂だという記述が残されています。
当時はちょうどこの路面電車の線路幅に川が流れていて、ここまで小舟が上って来ていたんです。
オランダ行きの遊女がこの坂を下りて小舟に乗り出島へ向かった、そう考えるのがシンプルですよね」
お話の通りだとすれば、なんてロマンティックな光景だろうか?
丸山オランダ坂を下り、再び思案橋電停の方へ向かう途中にあるのが料亭・松亭。
丸山界隈には花月、青柳、松亭と3つの料亭がある。
風格ある建造物に身をおいて、長崎の歴史の賜物である卓袱料理に舌鼓を打つ……これは丸山ぶらぶら歩きには欠かせない重要ポイントだ。
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