●丸山ぶらぶら散策地図はこちら
さてまずは花街・丸山について予習をしておこう。
丸山は寛永19年(1642)、今から約360年前、市中に散在していた遊女屋を官命により1ケ所に集めたのが始まりと言われている。
丸山の上は山頭といい、当時「山に行く」と言えば遊廓に遊びに行くということを意味したとか。
当時丸山は江戸の吉原、京の島原と並ぶ日本三大花街の一つであり、大変な賑わいをみせていた場所。
花街には主に長崎の町民や上方の商人が多く出入りしていたが、丸山遊女が唐人屋敷やオランダ屋敷(出島)への出入りを許されていたため、唐人やオランダ人と交流があったことが他の花街と違うところだ。
丸山という町名の由来はゆるやかな傾斜だったことから丸山と呼ばれた説、かつて平戸が開港地として栄えた頃、丸山という所に遊女屋を置いていたことから長崎も丸山と呼ぶようになったという2つの説がある。
●丸山遊女のこと
1.思案橋〔しあんばし〕〜丸山公園〔まるやまこうえん〕
●花街へ……行こか戻ろか、思案橋●
まずは、丸山へ入る最初の通過門、思案橋からスタートしよう。
思案橋電停脇の横断歩道両脇に橋の欄干を象った碑がある。
山口さん
「この大通りのちょうど路面電車が通る部分には昔、川が流れていて小舟も行き来していたんです。
遊廓が丸山の地へ移されて、行こうかどうか思案したのでここにあった橋は思案橋とも言われていました。」
横断歩道の脇には思案橋の昔の風景写真も見られる案内版があるのでチェックしておくといいだろう。
さて、夜になるとネオンが瞬く長崎一の繁華街である思案橋通りへと入って行こう。
昼間よくよく見ると、通りに連なる街灯の上方には、いろんな人物が象られている。
シーボルトにケンペル、坂本龍馬に勝海舟。
いずれも長崎を訪れ活躍し長崎史を賑わせた人物だ。
当然丸山へも足を運んだろうと、地元本石灰町(もとしっくいまち)自治会が設置したものだ。
街灯には人物説明も記されている。
この道筋を通り抜けると、江戸時代から続くカステラの老舗の趣きある店先に出る。
その右横、小道の入り口の電柱横に、明治時代に植えられたといわれる1本の柳(見返り柳)が立っている。
そしてその下にあるのが第二の通過門であった思切橋跡だ。
往時、遊廓へと足を運んだ人々の生き帰りの様子がそのまま名前になった橋と柳が現存しているのだ。
山口さん
「この橋は、ほら!あの黄色になっている辺りにあったようですよ。」
この公園入口を右に折れた坂道を行くと、高い石垣の上に大徳寺公園がある。
山口さん
「そこには明治期から続く梅ケ枝餅屋があります。
明治期から憩いの場となっていたそうですよ。
丸山遊女たちも訪れる、今でいうデートスポットですね。」
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