2.花月〔かげつ〕〜中の茶屋〔なかのちゃや〕
●♪遊びに行くなら〜と唄われた花月、中の茶屋●

丸山公園を右手にしたつき当たりは『ぶらぶら節の碑』もある県指定史跡・料亭花月
ここは映画『長崎ぶらぶら節』の舞台となった場所だ。
花月はもともと丸山随一の妓楼・引田屋(ひけたや)の庭園にあった茶屋。
現在は玄関の赤提灯や美しく整えられた庭園などに昔の面影をとどめ、華やかな宴席を彷佛とさせる史跡料亭となっている。
食事を予約すると、資料館や庭園を見学することができるのでぜひ足を運んでみよう。

「いなづまや、どの傾城とかり枕」
玄関先には遊女の心情を詠んだと言われる向井去来の句碑がある。

花月をあとに丸山本通りの石畳を進むと「梅園身代天満宮」と記された石碑、その横に設置された「長崎ぶらぶら散策マップ」の立て看板が目に入る。
その角が長崎検番だ。

検番とは芸者屋の取締りをする事務所で、町中の検番(町検)に対して山検と呼ばれていた昔の長崎東検番は、その後統合され長崎芸能会、そして現在の長崎検番へとなった。
諏訪神社の秋の大祭、『長崎くんち』への参加間近でもあり、取材当日も心地よい三味線の音が響いていた。
この角を曲がり細い坂道を上っていく。
花月の裏門であるこの辺りには300年前の石畳が残っており、風情ある通りを形成している。

山口さん
「この辺りには築100年という家も多いんです。」

美しい格子戸が目に止まった。



坂道を上がると鳥居が見えてくる。
この鳥居は梅園身代り天満宮のもの。
2つの鳥居をくぐり抜けると右手に天満宮がある。
映画では吉永小百合扮する愛八がお百度を踏むシーンがあったが、この場所がモデルのようだ。
昭和40年頃まで丸山の遊女や芸者衆が多く参詣していたのだそうだ。

近頃植樹したものも含め現在15本の梅の木が植えられていて、梅の季節には息を飲む程の美しい光景が見られる。
この天満宮には縁起ものが数多くある。
まず梅塚
「身代り」を「みだい」と読み、遊女や芸者衆たちは自分たちの生活に苦労が無い事をお願いして参詣していたのだとか。
その際、境内のこの玉垣の中に自分の家で食べた梅干の種を天神様と呼びわざわざ持って来ていたのだという。

山口さん
「現在もこの通り、身代りにと梅干の種を持参して祈願されてる方がおられますよ。」

そして天保11年(1840)に奉納された狛犬さま
昔から梅園の狛犬さまは願をかけると必ず叶えて下さるといわれ、ことに歯の痛みがある者が狛犬さまの口に水飴を含ませると、たちまち痛みを取って下さるといわれ歯痛狛犬として親しまれていた。

このいわれは日本各地にまで伝わり、多くの参詣者で市が立つ程だったのだとか。

山口さん
「黒くなっているのは願かけの飴がとけた跡なんですよ。」

天満宮ならではの『撫で牛』は社正面にあるのが現役の3代目で、横に追いやられて?いるのが2代目だ。
この2代目はボケ封じに御利益があるとされている。
現役牛さんを山口さんも撫で撫で。

山口さん
「自分の痛みがあるところと牛のその部分を交互に撫でるのが秘訣なんですよ。」



2代目『撫で牛

現役3代目『撫で牛』


天満宮を後にして「ぶらぶら散策」の足跡の誘導に沿って坂道を上りあがると妓楼・中の筑後屋の茶屋の跡中の茶屋がある。







庭園内の一隅には稲荷の祠と石の鳥居があり、その奥に「冨菊」と刻まれた手水鉢があるが、これは筑後屋の遊女「冨菊」が奉納したものだそうだ。



現在は清水崑さんの作品を集めた展示室となっている中の茶屋。
館内には愛八さんが唄う『長崎ぶらぶら節』が流れ、しっとりとした独得の空気が漂う。
江戸時代における長崎庭園の面影を残した風格ある庭園を眺めながら、少しの間、静寂を楽しむをのもいいだろう。


Check!●清水崑さんのほのぼの世界

風刺性、文学性の豊かな新聞の政治漫画や、かっぱの絵で馴染みの長崎出身の清水崑画伯。
『かっぱ川太郎』などのかっぱシリーズや似顔絵など、ほのぼのとした清水画伯の絵の世界は中の茶屋のゆっくりと時を刻む空間にぴったり。
年代によって彼の絵に懐かしさを感じ、また新鮮さを感じ…老若男女、楽しめるのでは?


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【1.思案橋〔しあんばし〕〜丸山公園〔まるやまこうえん〕】
【2.花月〔かげつ〕〜中の茶屋〔なかのちゃや〕】
【3.福屋跡〔ふくやあと〕〜丸山オランダ坂〔まるやまおらんだざか〕】


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