文・宮川密義


NHKの大河ドラマ「龍馬伝」で、江戸末期の勤皇の志士、坂本龍馬がクローズアップされ、各地に“龍馬ブーム”が見られます。海援隊の隊長として亀山社中を軸に活動した長崎でも「ながさき龍馬フェスタ2010」など様々なイベントや資料展が繰り広げられていますが、歌謡界でも新旧の“龍馬ソング”が見直され、話題を集めています。
龍馬の歌のほとんどが四国や京都を舞台にしていますが、長崎でも活動した人物であり、『長崎の歌』として取り上げました。
龍馬の歌は昭和35年(1960)から現在(平成22年)までに22曲出ているようです。そのうちタイトルに『龍馬』(または『竜馬』)と出した作品は15曲、さらにフルネーム『坂本龍馬(竜馬)』だけのタイトル、つまり同名異曲は6曲もあります。
 

1.村田英雄の「坂本龍馬」
(昭和35年=1960、里見義祐・作詞、関沢新一・補作、山路進一・作曲)


坂本龍馬が世間一般に知られるようになったのは、司馬遼太郎の歴史小説「竜馬がゆく」からで、昭和37年(1962)6月から41年5月まで産経新聞夕刊に連載される一方、昭和38年から41年にかけて単行本が5巻に分けて出版され、ベストセラーにもなりました。
村田英雄のこの歌は、昭和35年10月に発売されたアルバム「村田英雄おはこ集・第4集」の中に「竜馬がゆく」と共に収録されており、小説の掲載や出版の1年半前に出ていたことになります。
なお、この「坂本龍馬」は昭和41年4月に「竜馬節」とのカップリングでシングル盤を、さらにその前の36年3月には「竜馬の恋」、43年8月には「竜馬しぐれ」を「竜馬がゆく」とのカップリングでシングル盤を出しており、村田英雄は龍馬の歌を合わせて5曲も歌っていました。


長崎市の風頭公園に建つ
「坂本龍馬之像」


2.春日八郎の「坂本竜馬」
(昭和43年、永井ひろし・作詞、白石十四男・作曲 )


明治100年を記念して、司馬遼太郎の小説を原作に昭和43年1月から1年間、全52回にわたって放映されたNHKテレビの大河ドラマ「竜馬がゆく」に合わせて企画され、レコードになった歌です。
この時の制作に携わった当時のキングレコード・ディレクター、田中禮次郎さんは現在、諫早にお住まいで音楽プロデューサーとして活躍中ですが、「坂本竜馬」のレコード化に当たっては原作者、司馬遼太郎氏と協議しながら進めたということです。


亀山社中跡近くにある
“龍馬のブーツ”


3.尾形大作の「坂本龍馬」 
(昭和63年=1988、星野哲郎・作詞、浜口庫之助・作曲)



「坂本龍馬」を収録したLPアルバム


長崎市伊良林の若宮稲荷神社境内にある
「坂本龍馬之像」

10曲入りのLPレコードとカセットテープで昭和63年5月に発売されました。全曲、作詞・星野哲郎、作曲・浜口庫之助、編曲・斎藤恒夫というメンバーでした。現在は廃盤のため店頭での入手は不可能です。


4.鳥羽一郎の「龍馬は生きる」
(平成7年=1995=12月、同22年2月再発売、藤間哲郎・作詞、山崎幸蔵・作曲)



15年ぶりにCDで再発売の「龍馬は生きる」


平成21年11月に長崎市丸山公園に
建立された「坂本龍馬之像」

平成7年12月に発売していましたが、最近の龍馬ブームに呼応して、平成22年2月に坂本龍馬の生き様を歌った「坂本龍馬」と「龍馬は生きる」をカップリングしてシングルCDで再発売されました。
龍馬の歌の舞台は、ほとんどが龍馬の故郷・土佐や京都が中心でしたが、この歌では2番に長崎とお龍が歌われています。


5.金田たつえの「坂本龍馬〜青嵐の夢〜」
(平成21年=2009=11月、白石哲・作詞、丘しのぶ・補作、花岡薫・作曲)


郷里の土佐を離れて京の街など全国を奔走した坂本龍馬の見果てぬ夢をテーマに、土佐弁による台詞も入れて、壮大な人間ドラマを歌っています。 金田たつえは昭和36年、日本民謡協会全国大会で「江差追分」を歌い優勝。昭和40年上京、同年17歳で所属事務所の社長と結婚。昭和44年、「江差音頭」で民謡歌手としてデビューしました。
演歌に転向して昭和48年に吹き込んだ「花街の母」は、地道なキャンペーンが実って発売から6年目に全国的な大ヒット曲となり、15年間で250万枚以上を売り上げたといいます。昭和54年には第30回NHK紅白に初出場。毎年大晦日の『年忘れにっぽんの歌』にも出演しています。


金田たつえ「坂本龍馬 青嵐の夢」の表紙
この歌は発売以来、京都などで精力的にキャンペーンを行っているようですが、演歌の“たつえ節”による龍馬像も聴きものです。カップリング曲は「よさこい渡り鳥」。


6.新内枝幸太夫の「龍馬ありて」
(平成22年=2010=1月、二木葉子・作詞、新倉武・作曲 )


新内枝幸太夫(しんない・しこうだゆう)は京都出身で、昭和24年(1946)1月生まれの61歳。101歳の天寿を生涯現役で貫き通された岡本文弥師匠を心の師として、人情を守りつつ、平成に生きる新内に活力をと…と、京都を中心に全国各地に出向いて指導している新内弥栄派の家元。
一方、古典を大切にしながらも、落語と新内の掛け合いや色々なジャンルの人々とのジョイント・コンサート、自身作曲の新作新内をはじめ様々な作品に挑戦。また「歌謡曲も新内も歌う心は一つ」と考え、日本コロムビアからオリジナル演歌もリリースしています。
長崎でも昭和59年(1984)から稽古場を設けて定期的に指導、「長崎枝幸会」も発足しました。ホテルやホール、料亭などでショーやコンサートも開催しています。また、自ら作詞、作曲の「丸山甚句」(平成16年=2004)や長崎生まれの「故郷さのさ」(平成17年=2005、出島ひろし・作詞、松本敏美・作曲)も歌っています。


新内枝幸太夫「龍馬ありて」の表紙
この「龍馬ありて」には中山流家元で長崎民謡舞踊連盟理事長の石橋輝夫氏の振りも付いて、県内はもとより九州や全国各地で普及を図るそうです。


7.美空ひばりの「龍馬残影」
(昭和60年=1985=10月、平成22年5月再発売、吉岡治・作詞、市川昭介・作曲)


昭和60年に出た美空ひばりの十八番「男唄」の傑作で、「しのぶ」という曲のB面だったにもかかわらず、発売当初からファンの間では評価の高い名曲とされていました。
龍馬ブームが盛り上がりを見せる今年、25年ぶりに再発売となりましたが、発売を待ち構えていたファンは多く、人気を集めているようです。


25年ぶり再発売の美空ひばり「龍馬残影」


8.龍馬のハナ唄「よさこい節〜其の一」
(平成22年=2010=5月、高浪慶太郎となんがさき ふぁいぶ・演奏、琴音・歌)


坂本龍馬の妻、お龍がたしなんでいたとされる月琴と洋楽をコラボして、不思議な音楽空間を作り出した「龍馬のハナ唄」と題したCDが発表されました。
制作したのは長崎出身のミュージシャン、高浪慶太郎(たかなみ・けいたろう)。東京でバンド「ピチカート・ファイブ」を小西康陽と結成して以来、高い評価を受けていましたが、昨年、活動拠点を長崎に移し、「高浪慶太郎となんがさき ふぁいぶ」を結成し、長崎らしい音楽を目指して活動を開始。その第1弾として月琴の音色で伝える長崎らしいアルバムを自ら企画したものです。
月琴は、お龍に月琴を教えた明清楽の第一人者、小曽根キクの一番弟子・中村キラの孫に当たる琴音(ことね)さんで、歌も担当しています。
ところで、龍馬は花街で遊ぶことが多く、月琴をつま弾きながら俗謡を歌っていたといわれます。いろは丸と紀州藩の明光丸の衝突事件で賠償交渉が暗礁に乗り上げたとき、龍馬は 船を沈めたそのつぐないは/金を取らずに国を取る…などという歌を丸山の花街からはやらせ、庶民の同情を集め、紀州藩との賠償金交渉を有利に導いたともいわれます。
この「よさこい節」は1番が元歌、2〜3は江戸在中時、4は「いろは丸」が長崎から初船出する際に作った替え歌、5番が「いろは丸」事件の際に丸山からはやらせた歌の一つだそうです。


「龍馬のハナ唄」の表紙



丸山華まつりで演奏する琴音さん(左)と
高浪慶太郎(右)

なお、長崎で作られた龍馬の歌はほかに、バックナンバー15「歴史上の人物を歌う」で紹介した「龍馬長崎暦」(平成6年、秋岡秀治・歌)や『龍馬の歌音楽祭2006』の入賞曲「若人よ 旅立ちの時がきた」(平成18年、折原健児・歌)、セリフ入りで10分に及ぶ長編「龍馬大夢『夜明け』」(平成22年3月、平川波声・歌)など7曲がCDで発表されています。



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